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論争

カミュ伝

小説「異邦人」やエッセイ「不条理」はもちろんのこと、演劇として「カリギュラ」「誤解」といった作品をも生み出していったフランス文学の代表的人物の一人にまで上り詰めたアルベール・カミュ。栄華も極めており1957年にノーベル文学賞を受賞したことでも知られている。 1960年に交通事故で逝去したが、その後もいくつか話題となった。特に2020年あたりから続く新型コロナウイルスの感染拡大において、小説「ペスト […]

異文化間教育

「教育」の考え方は変わっていくのだが、その変化の有りようは、今日の社会情勢をもとに反映される事例も少なくない。特にグローバル化が進んでおり、教育についても「異文化」の考えを取り入れるようなことも少なくない。 しかしながら、異文化との教育のあり方には根強い課題と論争が存在する。本書はパリ第8大学教授の観点から、学校における異文化間の教育の実践と、論理、さらには論争などを分析しつつ、これからの異文化間 […]

歌うカタツムリ――進化とらせんの物語

本書が取り上げる時期としては、内容としてちょっと時季外れの作品と言えるかもしれない。本書で取り上げる「カタツムリ」はどちらかというと、梅雨の時期によく出くわす虫である。その「カタツムリ」がどのようにして「歌う」のかが本書のタイトルを見て気になるところなのだが、そもそもカタツムリの生態とは一体どのようなものなのか、謎が多い生物でもある。その謎を本書にて解き明かしている。 1.「歌うカタツムリ」 「カ […]

脳波の発見―ハンス・ベルガーの夢

ハンス・ベルガー(以下:ベルガー)はドイツの精神科医でありつつ、神経科学者であった。ベルガーは脳による情報の通信を始めて確認し、これを「脳波」と定義した人物でもある。その発見までの生涯と、脳波にまつわる論争があったとされているのだが、どのような道を辿っていったのか、本書ではその生涯を取り上げている。 1.「祖父リュッカート」 本章に出てくる「リュッカート」とは、ドイツの詩人であり、東洋学者でもあっ […]

水道の民営化・広域化を考える

ここ近年では電力やガスといったインフラが自由化となり、特に電力の発電・販売に至ってはさまざまな業者が参入した。しかしながら水道に至っては現時点で自由化はなっていない。その理由は私にもわからないのだが、自由化にするにあたって何らかの課題があるのかもしれない。 話を本書に移す。本書は水道の管理・保守は、現在特定の水道事業者・施設によって管理されている。しかもそれは市町村と言った「行政」によって管理され […]

プラグマティズム―限りなき探究

プラグマティズムとは、 「実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方」(Wikipediaより) とある。理想と相対し、現実的な見方のようにも見える。しかし本当のところプラグマティズムとはどのように定義されているのか、そして今日までどのような論争が行われてきたのか、本書はそのことについて取り上げている。 第一講義「ウィリアム・ジェイムズの不滅性」 ウィリアムズ・ジェイムズはアメリカの哲学者・心 […]

正論で争いを仕掛けてくる 相手の言葉なんて 真に受けるな!

私自身、言い争いに絡むことはたまにはあるが、そういったことになると必ずと言ってもいいほど負けてしまう。最も口が全くと言ってもいいほど達者ではない部分もあるのだが、それ以前に相手のペースに合わせてしまうようなことが多々あったためである。そのような状況の中で言い争いに負かすというよりも、言い争いから避けるためにはどうしたら良いかを伝授しているのが本書である。 第1章「1つの場面には過去の背景がある―い […]

暴走する脳科学~哲学・倫理学からの批判的検討~

脳科学はこれまで当ブログでも、書評を行ってきた。もちろん脳科学という分野を説いた本には玉石混淆であることはもはや書くまでもない。しかしその脳科学に対し、哲学・倫理学の観点から批判する本が出てきた。哲学・倫理学となると、生物学や科学などとの対立は今も昔もある。たとえば「生命」に関してが最も良い例で、クローン人間や遺伝子組み替えなどが対立軸の要素となっている。 さて、脳科学における「科学」と「哲学・倫 […]

エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う

東日本大震災以降、原発に対するバッシング、さらに脱原発の声が高まっている。政府も長期的に「脱原発」を行うことを明言したのだが、原発に代わるエネルギーをどうするのか、という論争が続いている。方や火力発電を、方や太陽光をはじめとした自然エネルギーの推進なのかというのが焦点であるのが、そもそもその議論には「盲点」があり、不毛なものになっていると著者は主張する。 エネルギー問題をいかにして解決していくか、 […]

戦争責任とは何か―東京裁判論争をめぐる50問50答

今年東京裁判の結審及び7人の処刑執行60年を迎える。この60年経った今もこの東京裁判の定義に関する論争は後を絶たない。当ブログでは東京裁判にまつわる書評はいくつも行ってきた。私自身の意見としてはこの裁判は結局連合国の都合で終わったと言える。少なくとも「東京裁判は平和のために役に立った」のは完全な間違いであったというのは周知の事実であり、マッカーサーも同じように語った。本書はこの東京裁判、及び戦争責 […]