TAG

PHP新書

青魚を食べれば病気にならない~万病の元「慢性炎症」を防ぐ

春のシーズンはマイワシが旬である。京都では旬であるが豊漁と言われており、マイワシを買うにも手頃になるのかもしれない。 しかしイワシをはじめとした青魚は子供を中心に嫌いな人も多いと言われている。理由は様々だが、たとえ健康に良いと言われても、である。 青魚は健康によいと言われているが、その中で「慢性炎症」の予防にも効果があると著者は指摘している。だが「慢性炎症」という病気はよくわからない人が少なからず […]

海の色が語る地球環境

自分自身、旭川という内陸部の出身であるため、生で海を観る機会は旅行の時以外なかった。大学進学と同時に小樽に住み、そこで海を観る機会が多くなり、やがて川崎に引っ越してからも海を観る機会は少ないながらもある。 海を見続けると、毎日違った海の光景が存在する。波の高さも去ることながら、海辺を飛んだりとまったりするカモメ、さらにはサーファーなどが居るときもある。 その海は「地球環境」において色や風景をもとに […]

サツマイモと日本人

「秋深し馬肥ゆる秋」 食欲の秋と言われており、街路樹は紅葉に彩られ、そして落ち葉となって落ちてゆく。その落ち葉を使ってたき火して、そのたき火でサツマイモを焼いて「焼き芋」にして食す、という季節である。 しかしその光景もほとんどみられなくなった。むしろ神奈川に住み始めた今では「全く」とも言える。最近の「焼き芋」というとあらかじめスーパーやコンビニで焼かれたものを買うということもよく見かけるようになっ […]

「肩の荷」をおろして生きる

「生きづらい」世の中である。世界有数の「豊かさ」のある日本だが、私の周りにも「幸せ」そうに生きている人がほとんどいない。むしろうなだれながら通勤する人をよく見かける。その光景を見ると、自分自身がポジティブに思っていたのが馬鹿らしくなってしまう。 その一つの要因として「肩の荷」と言う名の重荷を抱えているかと著者は推察する。本書はその「肩の荷」の要因を「自分」「豊かさ」「親子」「恋愛」「成熟」と5つの […]

友だち不信社会

「友だち」と呼ばれる存在は学校・会社問わずかけがえのない存在である。しかしその「友だち」そのものの存在が信じられないものになってしまっている。もっとも「いじめ」が顕在化した80年代後半~90年代前半もあるのだが、インターネットなどが普及したことにより「掲示板サイト(裏サイト)」やメールなどでの誹謗中傷の書き込みやメールが相次ぎ、それが心の傷となり、自殺に追い込まれる人もいる。 本書はそのかけがえの […]

メジャーリーグのWBC世界戦略

再来年の3月に第3回WBC(World Baseball Classic)が開催される。しかし前回・前々回覇者の日本代表は参加するかどうかのところで主催者側と揉めている状態で、参加するかどうかですら微妙なところである。 本書の最初の部分でも述べられているようにこのWBCの収益システムはMLBにかなり有利に働いているようであるが、そのメカニズムをどのように構築し、さらにMLBはWBCを通じてどのよう […]

満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか

1985年に男女雇用機会均等法が作られ女性の社会進出が始まってもう26年の歳月が流れようとしている。ヨーロッパに後れを取られているとはいえ、女性の社会進出は著しくあり、女性の上司や女社長といったことも珍しくなくなってきた。「バリキャリ」という言葉も出ているほどである。 そのことも一因としてあげられるが、晩婚化や少子化も起こっている。40代、つまり「アラフォー世代」での結婚や出産も増加している中、女 […]

中国ビジネスとんでも事件簿

中国へビジネス進出する日本の企業が増えている。北京オリンピックや上海万博などがあり、経済成長にも拍車をかけている。日本のみならず世界中のビジネス市場は中国を感化することができないのは事実である。 しかし、諸外国へのビジネスをする中で中国ほど警戒をしなくてはならない国はない。用心をしないと、中国進出を失敗するどころか、ケツのケバまでむしり取られるが如く、何もなくなってしまう可能性もある。 本書はそう […]

哲学は人生の役に立つのか

私は思うのだが「哲学」という学問は生き方にどのように役立つのだろうか。おそらく人間が生きていくに「思想」という考えの根底が必要なのだが、それを担っているのかもしれない。最近ではニーチェやゲーテなど哲学に関する本も売れてきている。「思想の見直し」を哲学者の言葉や考え方をもとに、私たちは思想そのものを考え始めたのだろう。 その大きな要因としては「格差」が大いにある。貧困により「生きる希望」を見いだせな […]

京の花街「輪違屋」物語

「一見さんお断わり」、または「観覧謝絶」 京都の座敷や廓にはそういった断りが点在する。簡単に言えばぷらっと独りで立ち寄ることができない。馴染み客(常連客)の紹介がなければ初めて愉しむことのできない格式の高い所である。現在でいえば「会員制」と言う所と似ている。 本書は京都の中で最も古い「廓屋」で知られる「輪違屋(わちがいや)」の跡取り奮闘記についてについて書かれている。 「輪違屋」が始まったのは16 […]