批判

国内

メディアと日本人――変わりゆく日常

最近「メディア批判」が盛んに行われている。しかし日本人はメディアとはどのように付き合っているのだろうか、と角度を変えて考えてもみたくなる。最近ではウェブの隆盛により、新聞やテレビから「ネット」とニュースをみる手段が増える、またはシフトしてい...
哲学

頂きはどこにある?

11年前に「チーズはどこへ消えた?」が出版され、現在でも売れ続け、愛されているベストセラーとなった。本書はその続編にあたる一冊であるが、テーマは「山」と「谷」である。 よく「人生山あり谷あり」と言われるのだが、本書はまさに人生の「谷間」に住...
国内

殺して忘れる社会―ゼロ年代「高度情報化」のジレンマ

インターネットなど情報技術の高度化が著しい。情報もこれまでとは大きく変貌している。 本書のタイトルの「殺す」は情報社会の中で人格が「無視」されること、「否定」されることを指している。決して拳銃やナイフで直接殺めると言うことではない。 「ペン...
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書評

カラヤンがクラシックを殺した

昨年・一昨年とカラヤンの生誕記念、没記念の時期にCDショップのクラシックコーナーではカラヤンフェアが行われたほどである。ヘルベルト・フォン・カラヤンは指揮で観客を魅了しただけではなく、音源を数多く残し、没後20年経った今でも世界的指揮者の名...
国内政治

二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシーへ

「二大政党制」はアメリカでは長らく続いた政治体系であるが、日本ではごく最近、2007年頃から使われるようになった。現在政権は逆転し民主党が政治のキャスティングボートを握っているが「二大政党制」と言ってもおかしくない。 しかしこの二大政党制は...
国内

お役所バッシングはやめられない

日本ではTV番組に限らず、新聞や雑誌などで政府に刈らず様々な分野で「バッシング」というのが横行している。それが建設的であればやってもいいのだが、ある種メディアの自己満足や大将の首をとったような態度の用に見えて気持ち悪く感じる。私は新聞でもイ...
国内

新聞再生―コミュニティからの挑戦

当ブログではこれまで散々新聞のことを批判してきた。そう言ったことからか現在私は新聞を見なくなった。記事や社説を信用できなくなったことと、毎日130円前後払ってまで価値があるのかというのに疑問を持っているからである。 そんな私でも「新聞はなく...
国内

日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる

良くも悪くも(悪いほうが多いが)大人気の「朝日新聞」の批判本である。こういう批判本を考えると朝日新聞というのはある意味で人気者といえる。 第1章「巨大メディアが垂れ流す歪曲報道」 皮肉はここまでにしておいてまず第1章では朝日新聞の歪曲報道を...
日本史

東京裁判を正しく読む

今年で東京裁判での判決60周年、同時に7人のA級戦犯の死刑執行60年となる。今年は東京裁判にまつわる本が次々と出ていて、当ブログでもいくつか紹介している(今年発売のものや、過去に発売されたもの問わずに)。 本書は東京裁判全体についてであるが...
国内経済

ニッポン経済の「ここ」が危ない!

現在の日本経済は後退の一途をたどっているが、これに関する問題点について書かれている。第1章は構造改革による格差についてだが著者の竹中氏は格差問題については海外に比べて格差はないのにもかかわらず格差に過剰に反応しすぎである、さらにこういう格差...
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