昨年・一昨年とカラヤンの生誕記念、没記念の時期にCDショップのクラシックコーナーではカラヤンフェアが行われたほどである。ヘルベルト・フォン・カラヤンは指揮で観客を魅了しただけではなく、音源を数多く残し、没後20年経った今でも世界的指揮者の名声を放ち続けている。
しかし著者はそのカラヤンがタイトルにあるとおりクラシックを殺したと断罪している。
第一章「音楽の悪魔―プロレゴーメナ」
カラヤンの音楽は著者に言わせれば「音楽の悪魔」であるという。DVDの音源のみならず、映像も容易に手に入れられる時代となった今、カラヤンの指揮の光景は私も何度も見ている。全盛期と呼ばれていた時は指揮をする時、よく目を瞑っている。自らの表現を想像しながら指揮をしている様に見える(本人は暗譜で指揮をしていると言うことを強調したかったとか)。
第二章「流線型の美学―ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)」
指揮者は理想の響きを求めるべくあらゆる手法で奏者に伝える。同じく世界的指揮者として有名だったカール・ベームは高圧的な態度で奏者へ要求し、アルトゥーロ・トスカニーニはリハーサルにて徹底的に鍛えるという手法をとった。
ではカラヤンはどの様な手法をとったのか。自らの響きが出るまで奏者を説得していたと言われている(カール・ベームの証言による)。
また演奏にもこだわりを入れ、低音を充実した(コントラバスを10人以上にしたと言われている)ことにより、緻密、且つダイナミックな音楽に仕立て上げたとも言われている。
第三章「孤高の絶対音楽―オットー・クレンペラー(1885〜1973)」
第二次世界大戦後ではウィーン・フィルで6年、1955年からはベルリン・フィルで34年もの間主席指揮者を務め、いつしか「帝王」「鉄人」と呼ばれるようになった。
しかし本章以降ではカラヤンの音楽と対比すべく、趣の違う指揮者を紹介している。
ここではオットー・クレンペラーを紹介している。クレンペラーは身長2メートルにも上る大男でありながら、怪我やうつ病に悩まされることが多かった。また演奏者や観客とのトラブルも数多くあり、文字通り「波乱」に満ちていた。
波乱に満ちた人生の中でもマーラーの「復活」によって名声を得た。もっともその「復活」をピアノ版に編曲をした時、マーラー本人から推薦文が送られたのは逸話として知られている。
第四章「絶望の音楽―ヘルベルト・ケーゲル(1920〜1990)」
同じ「ヘルベルト」でもヘルベルト・ケーゲルを知っている人物は少ない。ケーゲルはオーケストラと言うよりも合唱団で有名になったと言える。世界的に有名な合唱団「ライプツィヒ合唱団」を世界的に広めたことが大きかった。
元々ドイツの指揮者であったのだが、東西ドイツ統一を絶望視し、拳銃自殺という悲劇的な最期を遂げてしまった。そのことから「絶望の音楽」「自殺したくなる音楽」と評している。
本書のあとがきには編集者から「好きな事書いて良いよ」というメールで励まされたという下りがあった。本書はまさに「好きなことを書いた」と言うような一冊だったように思える。私もクラシックを良く聴くが、カラヤンの音楽は他の指揮者がつくる音楽よりもずっと鋭く、且つ重みのある音楽という感じだった。著者はカラヤンの音楽に対する断罪、というよりもむしろカラヤンよりもこういった音楽の方が良いと言うことを主張したかったのかもしれない。となるとタイトルなどに難があったように思えてならない。
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