現代日本人の絆―「ちょっとしたつながり」の消費社会論

2011年を象徴する漢字一文字は「絆」である。
東日本大震災をきっかけにリアル・バーチャル双方で日本人であること、助ける、もしくは応援するため「絆」を再認識させられたといわれる一年であった。

そうではなく、つながりや「絆」、そしてそこから生まれる「幸せ」の変化が出てきた。そう2009年に「幸せって何だっけ」というCMが流れたように。

本書は日本人の「絆」はどのように変化をしていき、これからどのように変化をしていくのか、本書はそれについて考察を行っている。

第一章「近代的な絆の始まりと終わり」
「近代的な絆」を代表して取り上げられるのが、「家族」を大切にする、近所づきあいを大切にするという「絆」がある。しかしそれにも変化が起こり、住まいが一軒家からアパート・マンション・公営住宅になり、一人暮らしなどの「核家族」ができはじめてから前述のような「相互扶助」における「絆」が薄れてしまった。

第二章「戦後消費社会史から第四のステージを展望する」
「核家族」の事象は高度経済成長期に生まれ、バブル崩壊頃からそれが急激に加速した。そしてインターネットにおける「つながり」や「絆」はバブル崩壊の時に形成され、2011年あたりにかけ大きなものになっていった。その絆は「幸せ」と「つながり」としての「消費」で新たな形へと展望することを本章では予測している。

第三章「隣人の絆―都市的なつながりを求めて」
「両隣三件」という言葉を聞いたことがあるだろうか。私自身、川崎にすみ始めた頃に土産を買い、それを実践しようとしたらものの見事に反応がなかった。結局その土産は自分で食べてしまったということがあった。
それだけ隣人に対し疎遠なイメージでしかなくなってしまった。
都市部はマンションやアパートなどがあり、かつニュータウンと呼ばれる住宅街も存在する。しかしその中でのつながりが薄れており、町内会などの「人付き合いの場」も少なくなってきている。

第四章「友人の絆―老いてこそのパーソナル・ネットワーク」
最近では「おひとりさま」と言う言葉が多くなってきている。簡単に言うと老後は独りで暮らし、悠々自適に余生を送るというものである。
しかし「おひとりさま」とはいっても家族どころか友達、知人もいない「完全孤独」の余生を送っては「悲惨」という言葉の他ない。
親を失い、そして子供も独立したと言われる状態のなかで、どのような「絆」「つながり」を持つべきか、「友人」に他ならないのだが、ではその友人をどのように形成づけるのだろうか。かつては「ゲートボール」や「高齢者クラブ」と呼ばれるものがあったのだが、最近では「コンビニ」や「ファーストフード店」などの場所が「憩いの場」や「つながりの場」として形成されているのだという。

第五章「同好の絆―若者たちのクール・アジアへ」
第三章では家族や住まい、さらに第四章では高齢者における「つながり」「絆」の変化について述べてきたが、ここでは角度を変えて、私たちの世代の「つながり」「絆」の変化についてスポットを当てている。
ここで言う「同好」は同じ趣味、もしくは同じ嗜好を持つ方々との「つながり」、簡単に言えば「オタク文化」で形成される「つながり」「絆」についてを描いている。

第六章「社会の絆―ローカルとグローバルのリアルを求めて」
ここでかなり大きなものになる。「社会」という一括りでも家族や隣人、会社のみならず日本、世界といった広い括りのなかで生まれる「絆」、一見範囲が広すぎて何があるのか見えないが、「食」という言葉にスポットを当てると、食糧の輸出入、消費、生産といったつながりを見出すことができる。
社会の中で出てくる「生産をするもの」「消費をするもの」「そしてそれを媒介するもの」の「つながり」と「絆」は単なるものではなく、やがて「感謝」をするものに変化をする事を本章では綴っている。

時代とともに「絆」は変化する。本書もその「絆」の変化の考察を行ったとともに、これから日本人として「絆」や「つながり」をどう変化するか、それを考えさせられる一冊であった。

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