シリーズ「『貞観政要』を読む」~2.巻一<君道><政體>~

さて、今日から貞観政要の中身に入っていきます。ただ、全文取り上げる事は難しいため、それぞれ重要なエッセンスとなるところを取り上げ、解説していく形といたします。漢文も取り上げますが、あくまで「解説」ですので通釈や古語訳、日本語訳はしません。ご了承ください。

<君道第一>

最初は「君主」としてのあり方としてどうあるべきかのやりとりを集めています。ちょうど太宗が皇帝に即位し始めた頃であり、このころから臣下とのやりとりの中で君主とは何か、統治とは何かを考えるようになりました。

まず、取り上げるものは太宗が皇帝に即位したとき、臣下全員に送った「決意表明」でした。

——————————-
貞觀初,太宗謂侍臣曰:「為君之道,必須先存百姓,若損百姓以奉其身,猶割股以啖腹,腹飽而身斃。若安天下,必須先正其身,未有身正而影曲,上治而下亂者。朕毎思傷其身者不在外物,皆由嗜欲以成其禍。若耽嗜滋味,玩悅聲色,所欲既多,所損亦大,既妨政事,又擾生民。且復出一非理之言,萬姓為之解體,怨讀既作,離叛亦興。朕毎思此,不敢縱逸。」諫議大夫魏徴對曰:「古者聖哲之主,皆亦近取諸身,故能遠體諸物。昔楚聘詹何,問其理國之要。詹何對以修身之術。楚王又問理國何如。詹何曰:『未聞身理而國亂者。」陛下所明,實同古義。」
——————————-

まず、自分自身の「君主としての「道」」について、自分自身の見解を述べたところです。

治世のために、自分自身が正しい道を歩む必要があり、決して民に負荷(重税や拘束)などをかけて苦しめ、自分自身が欲望の赴くままに放蕩三昧をしてはならないと自戒しなくてはいけない。さもなくば民に対しての信頼がなくなり、クーデターなど離反や反乱などが起こる。それを思ってこの民のために治めることを誓ったのでした。

—————————-
貞觀二年,太宗問魏徴曰:「何謂為明君暗君。徴曰:「君之所以明者,兼聽也;其所以暗者,偏信也。《詩》雲:『先人有言,詢於芻蕘。』昔唐、虞之理,辟四門,明四目,達四聰。是以聖無不照,故共、鯀之徒,不能塞也;靖言庸回,不能惑也。秦二世則隱藏其身,捐隔疏賤而偏信趙高,及天下潰叛,不得聞也。梁武帝偏信朱異,而侯景舉兵向闕,竟不得知也。隋煬帝偏信虞世基,而諸賊攻城剽邑,亦不得知也。是故人君兼聽納下,則貴臣不得壅蔽,而下情必得上通也。」太宗甚善其言。
—————————-

太宗はもっとも信頼している臣下の魏徴に「君主」のなかで「明君」と「暗君」の違いについての質問をしました。その魏徴は「明君」と「暗君」の定義をこのようにしめしました。

「明君」・・・ 多くの民の意見を取り入れ、その中で良いと判断した意見を用いて治世を進めていく君主
「暗君」・・・ 限られた思想、もしくは人だけの意見を信じ、取り入れていく君主

これは現在にも通じるものがあるのかもしれません。ビジネスの世界では「明君」と呼ばれる代表としてユニクロの「悪口言ったら100万円」のキャンペーンが挙げられます。多くのユーザーの意見を採り入れ、その中で本質を突いているものを取り上げ、そして改善していったと言うものがあります。

しかし現在の政治もそうですが、企業の多くは「派閥」をつくり、同じ意見や考え方の人しか言うことを聞くことができず、意図せず「暗君」と呼ばれるような存在になってしまいます。

幅広い見識とともに、思想は違えど様々な意見を聞き入れること、そしてそれに対して「正しく」取捨選択ができることがリーダーに求められています。その「正しく」の基準は人それぞれあるため難しいのですが。

—————————-
貞觀十年,太宗謂侍臣曰:「帝王之業,草創與守成孰難。」尚書左仆射房玄齡對曰:「天地草昧,群雄競起,攻破乃降,戰勝乃克。由此言之,草創為難。」魏徴對曰:「帝王之起,必承衰亂。覆彼昏狡,百姓樂推,四海歸命,天授人與,乃不為難。然既得之後,誌趣驕逸,百姓欲靜而徭役不休,百姓雕殘而侈務不息,國之衰弊,恒由此起。以斯而言,守成則難。」
—————————-

ここで皇帝は「帝王の事業の中で、創業(新たな事業を興す・つくる)と守成(今の事業を続ける)のどちらが困難なのか」という質問を臣下にしました。この質問に対し、臣下2人が答えたのですが、正反対の意見でした。

「房玄齡」
国家を作り始めた当時は、群雄割拠の戦いから勝ち取る事で作ることができるため創業の方が困難

「魏徴」
混乱した状況の中で勝ち取り、民たちは安心する。しかし君主は勝ち取った帝王の位で「何事も自由にできる」権利を持つことができるため、堕落しやすい。
そのため、贅沢を捨てて民たちの為に尽くす事を辞めることができないため、守成の方が困難

どちらに対しても「困難」であることには代わりありません。そう考えると「どちらが困難か」という質問は愚問だったのかもしれません。意味合いは違えど、どちらも「困難」であることに変わりはないのですから。

—————————-
譬之負薪救火,揚湯止沸,以暴易亂,與亂同道,莫可測也,後嗣何觀。夫事無可觀則人怨,人怨則神怒,神怒則災害必生,災害既生,則禍亂必作,禍亂既作,而能以身名全者鮮矣。順天革命之後,將隆七百之祚,貽厥子孫,傳之萬葉,難得易失,可不念哉。
—————————-

たとえ話として薪の話やお湯の話を取り上げていますが、要は「あるもの」を不自然に変えることなく、質素に使いつつ、民のために尽くすことを言っています。民を苦しめて、贅沢の限りを尽くすようになると、民は苦しみ、反乱を起こすことさえあれば、神も怒り、災厄をも引き寄せる原因にもなると言います。

「贅沢」をはじめ魔が差した行為一つだけでも、形がどうであれ帝王の座が揺らぐことさえあるのです。そのため「帝王」をはじめとした「君主」は、

「得難くして失いやすい」

存在と言えます。

—————————-
指諸孫曰:「此等必遇亂死。」及孫綏,果為淫刑所戮。前史美之,以為明於先見。朕意不然,謂曾之不忠其罪大矣。夫為人臣,當進思盡忠,退思補過,將順其美,匡救其惡,所以共為理也。曾位極臺司,名器崇重,當直辭正諫,論道佐時。今乃退有後言,進無廷諍,以為明智,不亦謬乎。危而不持,焉用彼相。公之所陳,朕聞過矣。當置之幾案,事等弦、韋。必望收彼桑楡,期之歳暮,不使康哉良哉,獨美於往日,若魚若水,遂爽於當今。遲復嘉謀,犯而無隱。朕將虚襟靜誌,敬佇徳音。
—————————-

これは臣下の直言のあり方についての事を言っています。唐より前の王朝の「晋」と呼ばれる時代にさかのぼります。日本では「弥生時代」の末期と言ったところでしょうか。

その時代の皇帝の中にひたすら贅沢を尽くし、政治は二の次という考えを持った方がいました。

しかし、その状態から混乱が起こるだろうと察知し、直言しようとした臣下がいたのです。その臣下は皇帝にそれを報告しませんでした。

最初に書いたとおり皇帝によっては直言すると殺されることさえある、そのことを恐れていたのかもしれません。

その後、その臣下の言うとおり晋は混乱が起こり、滅びるのでした。

さて、ここからが重要です。ここでのポイントは「臣下は直言すべき事をしなかった」ことにあります。上記の漢文は皇帝から発せられたものですが、臣下にとっての重要な役割を示しています。

会社で言うならば、「臣下」は取締役や執行役員、さらに平社員までが該当します。その方々は様々な考えや気づき、意見を持っています。その意見を広く取り入れるのが社長やリーダーの役割であり、かつそれを言うことのできる環境を作ることもまたリーダーの役割です。

反対に臣下はその環境で素直に意見する役割があります。
その両方の役割を果たすことによって会社は様々な形で良くなります。

「風通しの良い会社」や「風通しの良い社会」の本質を突いている所と言えます。逆にそれができない社会と言うことは、先に述べた「直言しない臣下」を作るような状況に陥ってしまい、事態を悪化させることになりかねません。

<政體第二>

ここでは「政體(せいたい:国の統治形態のこと)」と称して、政治の在り方を取り上げています。しかし政治の世界でも企業の世界でも共通する部分は少なくありません。

—————————-
貞觀初,太宗謂蕭ウ(王へんに兎)曰:「朕少好弓矢,自謂能盡其妙。近得良弓十數,以示弓工。乃曰:『皆非良材也。』朕問其故,工曰:『木心不正,則脈理皆邪,弓雖剛勁而遣箭不直,非良弓也。』朕始悟焉。朕以弧矢定四方,用弓多矣,而猶不得其理。況朕有天下之日淺,得為理之意,固未及於弓,弓猶失之,而況於理乎。」自是詔京官五品以上,更宿中書内省。毎召見,皆賜坐與語,詢訪外事,務知百姓利害,政教得失焉。
—————————-

一言で言えば「餅は餅屋」を表している所です。その道の専門家の意見は貴重なものであり、もっとも参考にすべきと言うものです。

たとえ自分自身もそれが得意で長くやったとしても専門家にしかわからない「誤り」をただすことができる重要な機会であると説いています。

ビジネスの世界でも他業種に聞かないとわからない所があります。それぞれの世界に「専門家」がいるからでこそ、その方々の意見を参考にする、もしくは業務提携するようなこともまたここの文章で伝えたかったメッセージと言えるでしょう。

—————————-
貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「看古之帝王,有興有衰,猶朝之有暮,皆為蔽其耳目,不知時政得失,忠正者不言,邪諂者日進,既不見過,所以至於滅亡。朕既在九重,不能盡見天下事,故布之卿等,以為朕之耳目。莫以天下無事,四海安寧,便不存意。可愛非君,可畏非民。天子者,有道則人推而為主,無道則人棄而不用,誠可畏也。」魏徴對曰:「自古失國之主,皆為居安忘危,處理忘亂,所以不能長久。今陛下富有四海,内外清晏,能留心治道,常臨深履薄,國家暦數,自然靈長。臣又聞古語雲:『君,舟也;人,水也。水能載舟,亦能覆舟。』陛下以為可畏,誠如聖旨。」
—————————-

ここで有名な言葉として、
「君主は舟であり、人民は水である」
を取り上げています。これは「性悪説」で有名な「荀子」の言葉です。
簡単に言えば人民という水があるからでこそ君主と言う名の舟を漕ぐことができるという言葉です。君主を信頼する人民もいれば、そうではない人民もいます。そう考えると「水」というよりも、波が起こる「海水」と捉えると良いのかもしれません。

—————————-
貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「古人雲:『危而不持,顛而不扶,焉用彼相。』君臣之義,得不盡忠匡救乎。朕嘗讀書,見桀殺關龍逢,漢誅黽錯,未嘗不廢書嘆息。公等但能正詞直諫,裨益政教,終不以犯顏忤旨,妄有誅責。
—————————-

貞観政要の最大の特徴は「諫言」をすすめ、太宗がそれを聞き入れたことにあります。そのことを宣言したところです。

—————————-
太宗毎力行不倦,數年間,海内康寧,突厥破滅。因謂群臣曰:「貞觀初,人皆異論,雲當今必不可行帝道、王道,惟魏徴勸我。既從其言,不過數載,遂得華夏安寧,遠戎賓服。突厥自古以來,常為中國勍敵,今酋長並帶刀宿衛,部落皆襲衣冠,使我遂至於此,皆魏徴之力也。」
—————————-

魏徴が太宗に「善意ある政治」を求めました。「善意」は君主が持つこともそうですが、民に対しても「善意」を信頼し、それを政治に反映することで民族や地方に関係なく、安寧な世の中になったと言います。
「善意」を信頼し、汲み取ることはなかなか難しいことであり、それを見分けることは君主にとっても必要ですが、臣下としても必要な力です。ここにでてくる魏徴はまさにそういう人だったのかもしれません。
この魏徴という人物については第二巻で詳しく紹介されています。

さて、長々となりましたが第一巻を取り上げてきました。
次は第二巻を取り上げていきます。

(巻二へ続く)

―――――――――――――――――
<参考文献>

―――――――――――――――――
<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」