日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか

株式会社オトバンク 上田様より献本御礼。
昨年の7月29日にある防衛大臣が辞任をした。その名は稲田朋美。なぜ辞任となった理由として「南スーダンPKO日報隠蔽問題」がある。そもそもなぜ隠蔽問題が起こったのか、そして南スーダンではどのような事が起こったのか、方や隠蔽問題を追及し、方や南スーダンのPKO活動の現状を明かしている。

Ⅰ.東京×アフリカ
第1章「請求」
元々南スーダン派遣は民主党政権時代の時から始まっていた。時の首相は野田佳彦の時である。その前の菅直人政権の中で表明したため、実質的に民主党の中で行いはじめ、自民党に政権が戻ってからも引き継ぎ、昨年の5月に撤退することとなった。その派遣の中にて南スーダンではクーデター未遂事件が起こり、そこから長きにわたる内戦が勃発することとなった。その時の日報を著者は請求をすることとなった。

第2章「現場」
内乱が起こっていた南スーダンではメディアで取り上げられている以上の事が起こっていた。自衛隊ではないのだが、援助団体が政府軍兵士らの暴行を受けていた事実である。Ⅰ部メディアではそれを取り上げることがあったのだが、私の知る限りでは本書が上梓されるまで、日本メディアは一切取り上げていなかった。

第3章「付与」
本章では今から2年前の9月30日にて衆議院予算委員会の答弁を取り上げている。その時には南スーダンの治安は悪化の一途を辿り、自衛隊の近くで警戒任務に当たっていた中国人兵士2人が砲弾に命中して死亡した出来事にあった。そのことに関する議論である。

第4章「会見」
本章で言う所の「会見」はリエック・マチャル・テニィ(マシャール)前副大統領の会見のことを取り上げている。その会見のあらましと開かれるまでのプロセスを追っている。

第5章「廃棄」
著者は日報の開示請求をかけた。「情報公開請求」と呼ばれる正規の方法であったのだが、その請求に対して

「本件開示請求に係る行政文書について存否を確認した結果、既に廃棄しており、保有していなかったことから、文書不存在につき不開示としました」(p.108より)

と回答があった。そのことで「日報」は廃棄されたという事実をツイートしたことによって急速に拡散され、問題として発展した。

第6章「銃撃」
著者が南スーダンへと赴いたことが何度もあった野だが、その中で自衛隊はどのような活動を行っていたのか、その現状を写真と共に取り上げている。

第7章「隠蔽」
日報開示は何度も行い、今度は開示することはできた。しかし今度は日報の内容が黒塗りされている所が所々あった。そのことから著者は隠蔽ととらえた。

第8章「飢餓」
南スーダンに限らず、内乱などが起こっている地域では必ずと言ってもいいほど難民が出てくる。その難民の中には飢餓の状況にあるような人々も少なくない。その飢餓にあえいでいる惨状を表している。

第9章「反乱」
南スーダンが泥沼化すると共に、政治的にも泥沼化の一途を辿った。その泥沼化の中で南スーダンのPKO派遣から撤収すると表明した。

第10章「難民」
食糧が枯渇し、それを求める難民が相次いだ。その難民の窮状は南スーダンのみならず、隣国であるウガンダにまで伝播していった。

第11章「辞任」
日報隠蔽疑惑が毎日のように国会にて議論され、新聞・週刊誌などのメディアで取り沙汰される中でついに防衛大臣の辞任をすることとなった。もっとも防衛大臣のみならず陸上幕僚長も含めて辞任する運びとなった。

Ⅱ.「福島にて」
福島というと原発のイメージが持たれるのだが、本書はあくまで日報隠蔽問題であり、祖著者たちがこの福島で対談を行ったというものである。

もう1~2年前の話になるのだが、南スーダンPKO日報隠蔽問題は今でも結構覚えている。長きにわたってメディアで取り上げられたのだが、実際にその問題の本質とは何か、そして南スーダン派遣はなぜ行われ、どのようであったのか、メディアでは取り上げられなかった事実がよく分かる一冊であった。