生き方の流儀

「生き方」と言うものにも「流儀」があるのだろうか、と言う疑問をもってしまうようなタイトルであるが、将棋棋士の故・米長邦雄氏と評論家の渡部昇一氏が対談形式で対談している。共に壮年になり、自分自身の人生を総決算すると言うことで、自分自身の人生はどのようなものだったのか、さらに財産とは、仕事とは、夫婦とはなど色々な角度から考察を行っている。

第一章「『人間における運の研究』その後」
本書が出る以前に米長氏と渡部氏は対談をしており書籍化された、それが「人間における運の研究」である。その本は1994年の1月に出版され、話題を呼んだのだが、当時米長氏は「50歳名人」と呼ばれていた時代に出版されたためであった。それから17年の月日が流れ、米長氏は引退し、日本将棋連盟の会長に就任した。ちなみに米長氏が亡くなられたのは本書が出版された翌年の年末である。

第二章「生涯現役の人たちの共通項」
高齢化社会と呼ばれているのだが、中でも「元気な高齢者」も数多くいる。将棋の世界でも、囲碁の世界でも、麻雀の世界でも、落語の世界でも還暦を過ぎた方々の活躍もあり、「中高年の星」と呼ばれる様な存在も多々出てきている。
その方々の共通項とはいったい何なのだろうか、そのことについて対談を行っている。

第三章「若くして学べば壮にして成すあり~青少年期の過ごし方~」
本章のタイトルは著者の一人である米長氏が体現した言葉と言える。「50歳名人」になる以前に、幾度となく名人戦に挑戦し続けてきたのだが、敗北し続けてきた。それでも何度も何度も戦い続け、研鑽を重ね、そして大成することができた。

第四章「一歩抜きん出る人の仕事の流儀」
本章では評論家の渡部昇一氏が仕事とは何かについて取り上げている。保守系論客の重鎮である一方で知的生産のあり方やジョゼフ・マーフィーの成功哲学を紹介した人としても有名である。成功の他にも米長氏の失敗のあり方についても本章にて言及されている。

第五章「いかにして財を為すか」
日本人は蓄えたがる民族であるが、著者のご両人は財をどのようにして蓄えるのか、そしてお金に関する哲学はどのようなものなのだろうか、と言うところを取り上げている。

第六章「夫婦のあり方~家庭の流儀~」
夫婦のあり方と言うことを米長氏が語れるかどうか一瞬不安になってしまった。というのは、米長氏は昔、女性関係が派手になった時期があり、家に数日帰ってこない事があった。それで囲碁棋士である故・藤沢秀行宅に、米長氏の奥様がやってきて、離婚をしたいと藤沢氏の奥様に相談したエピソードもあるほどである。こちらについては故・藤沢秀行氏が書いた「野垂れ死に」という本に詳しく書いてある。
前置きが長くなってしまったが、家庭を円満にするにはどうしたら良いのかを両人の考えを取り上げたのが本章である。

第七章「老・病・死に対して~老いの流儀~」
人は歳を重ねるにつれ、健康でいられるにはどうしたら良いのか、両者それぞれの健康術を明かしながら、健康の尊さ、老いの尊さについて議論している。

第八章「一流への流儀」
「一流」とはどのような存在なのだろうか、「一流」と「二流」の差はいったい何なのだろうか。本章では「一流」の定義について両者が議論している。

方や将棋棋士、方や評論家という異色の対談であるが、同じ業界の人との対談だと井の中の蛙となってしまうのだが、異なる畑で見識の広い両者であるため、化学反応の如く生きる、学ぶ、蓄える、老いることについての議論が深まっているのかもしれない。本書はそれを見出した一冊と言える。