十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」

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今でこそ市川海老蔵は十一代目が有名であり、なおかつ七月大歌舞伎では、その息子である堀越勸玄が史上最年少宙乗りで話題となった。今となっては現・海老蔵が「海老さま」と呼ばれるようになったのだが、その「海老さま」と呼ばれた源流はその海老蔵の祖父にあたり、本書で取り上げる十一代目市川團十郎(以下:十一代目團十郎、または團十郎)である。しかし團十郎と名乗った時期は3年ほどであったため、今もなお「九代目市川海老蔵(十一代目團十郎の前名)」「海老さま=十一代目團十郎」という図式があるという。その團十郎が舞台でよく共演したのが、もうひとりの人物である「不世出の女形」と呼ばれる六代目中村歌右衛門(以下:歌右衛門)、や現尾上菊五郎の父にあたる七代目尾上梅幸である。その2人の人物は戦後歌舞伎界の隆盛を支えたのだが、その支えとなった人物の2人はどのような境遇だったのかを取り上げている。

第一章「海老様ブームと歌右衛門襲名」
十一代目團十郎は今でも「海老さま」と言われるのだが、その「海老さま」と呼ばれるようになったのは助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)で助六を演じ、大喝采を得たり、源氏物語の光源氏を演じた際、女性ファンで立ち見まで出るまで大入りになったほどにまでなった。もっとも「海老さまブーム」と呼ばれるようになったのは、贔屓筋や海老蔵ファンが一斉に「海老断ち」し、魚河岸や天ぷら屋で海老の天ぷらが全く売れなくなったことで社会現象になったことにある。また中村歌右衛門も先代の歌右衛門(五代目歌右衛門)らが逝去したことにより「劇界の孤児」と呼ばれる存在となったのだが、「菊吉時代」を支えた初代中村吉右衛門の支えにより六代目中村歌右衛門を襲名し、名女形への道を歩み始めた。

第二章「始動と雌伏」
その「海老さまブーム」を支えたのは助六や源氏物語だけではない。團十郎の場合は大佛次郎、歌右衛門の場合は三島由紀夫といった作家の支えもあった。前者の場合は「若き日の信長(十二代目團十郎襲名披露狂言でも演じられた)」などの作品を生み出し、ブームに火をつけ、後者は評伝などで名声を高めさせた。

第三章「模索と分裂」
しかし十一代目團十郎は元来気難しい性格から、対立をしたり、あるいは縁を切ったりするようなことも少なくなく、なおかつ公演をストライキして中止に追い込むようなことも度々あった。他にも分裂というと吉右衛門劇団というのが存在しており、そこで團十郎や歌右衛門らが活躍したのだが、初代吉右衛門の逝去に伴い分裂をすることとなった。

第四章「神の復活と死」
「神」という存在は歌舞伎界においてどのような存在かというと「市川團十郎」である。そもそもそう言われたのは「劇聖」と呼ばれた九代目市川團十郎であるのだが、それ以来團十郎と名乗る人が生まれたため「復活」と呼ばれた。59年ぶりとなる襲名は、当時の「1億円」の襲名と呼ばれるだけあり、歌舞伎界においても復興を象徴づけるものだったという(ただしそれは関東だけであり、上方は凋落の一途を辿っていたという)。しかし等の十一代目團十郎は病魔に冒されており、襲名してからわずか3年で逝去することとなった。そして残った歌右衛門は長らく日本俳優協会の会長を務めるなど「女帝」として名を馳せるようになった(元々は帝王だが、歌右衛門は立女形であったことから「女帝」と言われるため)。

團十郎と歌右衛門(or 七代目梅幸)の時代は戦後間もない歌舞伎界の象徴として強烈な存在であったと言える。しかしその存在は今となってどのようなことだったのか、「検証」と呼ばれる本はなかなかない。

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