データブック貧困

「貧困」とは一体何だろうかというのを戦後、高度経済成長まで忘れてしまったのかもしれない。大戦中や戦前は配給制により満足のいく食事ができず、国のために勤勉を行い、夜遅くまで仕事に勤しんだという人がほとんどである。しかし労働状況が一向に改善されないことから小林多喜二の「蟹工船」のような減少が起こっては鎮圧されたということもあったという。

バブルが崩壊し、「失われた10年」を乗り越え日本は「貧困」が他人事でなくなるような時が来ようとは。評論家の金美齢氏はこのような格差社会でも「日本の格差はそれほどではない」と断言している。では格差対策はやらなくていいのかというとそうではない。「格差がない」と言われるからでこそ日本における貧困問題は解決していかなくてはならない。事実憲法では生存権というのが担保されている。

それを担保されるために「生活保護制度」がある。しかし生活保護の件数は多くなるい一方でパンク状態となり、さらには生活保護費の削減も行おうとしている。これで最低限の生活がおくれるのかというのが疑わしくなる。そしてもう一つ「生存権」の話であるが、これにまつわる裁判が依然最高裁で数件あったのだがいずれも国の勝訴に終わっている。

そう考えると「生存権」というのは形骸化していると思えてならない。今憲法の話も9条のことばかりに集中しすぎておりそれによって「護憲」「改憲」と論じてしまう。私自身は「改憲」の立場であるがこれは9条の話にとどまらない。「護憲派」でも国民のために変えなくてはいけない条項がたくさんあるのではないかと疑いたくなる。

「貧困がない」や「格差がない」ということで格差解消の政策を止めてはいけない。むしろそれを考えない経営者は自分の首を自分で絞めているということを果たして認識しているのだろうか。