哲学は人生の役に立つのか

私は思うのだが「哲学」という学問は生き方にどのように役立つのだろうか。おそらく人間が生きていくに「思想」という考えの根底が必要なのだが、それを担っているのかもしれない。最近ではニーチェやゲーテなど哲学に関する本も売れてきている。「思想の見直し」を哲学者の言葉や考え方をもとに、私たちは思想そのものを考え始めたのだろう。

その大きな要因としては「格差」が大いにある。貧困により「生きる希望」を見いだせなくなり、明石家さんまのCMの「幸せって何だっけ?」というのが復活した。希望の世の中が見いだせなくなった今、幸せという言葉を考え出し始めた。そのことから「哲学」本が売れだしたと推測できる。

著者は中央大学で長年教鞭をとってきた哲学者がこれまでの人生を哲学とともに振り返っている。

第一章「混乱の時代を生き抜いてきた」
最初に「生きる希望」を失ったから「哲学」にのめり込みだしたと書いたが、著者の青年時代と似ている部分がある。著者の青年時代はまさに終戦を迎えた前後のことであり、日本が混乱し、国民は現在とは想像できないほどだったという。

第二章「思いきり悩み、迷えばいい」
著者が高校から大学に至るまでの経緯について、さらに自ら「哲学」を専攻し始めた理由についてをあかしている。紆余曲折の中で決めたのだが、本章では哲学専攻を決めるまでどのような本を読んできたのかも含めて紹介されている。
当時は夏目漱石やドストエフスキーなどを乱読し、そこから哲学にもシフトしていったという。

第三章「頭より体力が基本だ!」
著者の人生経験を元にした体力論の話であるが、私自身「できていない」ということを痛感してしまった所である。体力というとサラリーマンをやっている私も「ビジネスマンは体力が必要」という言葉にグサリと来るがごとく、毎日の出勤、もしくは出張による移動でバテてしまい、仕事にならない時間ができてしまう。どうしようもないと言うと、それまでになってしまうため、移動しながらも運動に読書にと、様々な策を講じている。

第四章「哲学者だって女性に惑った」
確か名を打つ人物には派手な女性遍歴があったと言われている。昭和の名人と言われた五代目古今亭志ん生は結婚した当日に女郎買いを行っていたし、八代目桂文楽に至っては二股・三股を長年やっていたといわれている。女性の場合でも、小説界の大御所として知られている瀬戸内寂聴は若い頃は「色盛り」として知られていた。
哲学者も例外ではなかったという。本章でも取り上げられているが、ニーチェも幾多もの女性関係があったことでも有名であり、自らの妹ともインセストの関係にあったという。

第五章「人生ずっと、まわり道」
著者の哲学読書遍歴、というべきか、もしくは「哲学研究遍歴」といえるような所である。
目標に向けて最短経路を追い求めるばかりも人生である。しかし時間はかかれどまわり道の中で得られるものもあると言っている。

第六章「遊びも一所懸命」
今では「一生懸命」という四字熟語の方がまかり通っているようだが、本来は「一所懸命」が正しい。しかしピンポイントだけ懸命になってもしょうがないので「一生懸命」という言葉が俗用され始めたのかもしれない。
ここでは著者の趣味遍歴というべき所であるが、読書や映画、音楽鑑賞などをとことんやっていたというのが見て取れる。

第七章「好きなことをして生きる道」
あなたには「好きなこと」はあるのか?ということを問うことからこれからの時代を担う若者に向けてのメッセージとしている。「好きなことをやれ」ということを言うと目くじらをたてる人もいるようだが、子供の頃、好奇心でいろいろなことに首を突っ込んだり、好きなことにのめり込んでいった経験があるだろう。それを大人になったときでも大事にした方がいいと言うことを言っている。

著者の半生を自ら綴った物であるが、その中でも自ら学べる所は色々ある。自叙伝にしても、伝記にしてもまた然りである。タイトルが「哲学~」とあったため哲学に関する考察かと思ったが、そうではなかったためそういう意味ではガッカリしてしまったが、自らの人生がまさに「哲学」に通じていることを見て取れる一冊である。

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