つらいから青春だ

「つらい」という感情は誰もが避けたがるものである。しかし成長や失敗にはどこかで「つらい」と思ってしまうような試練が必ず出てくる。その度に挫けてしまったり、諦めの感情を持ってしまうことさえある。

そういった感情に陥るとき、自分の進む道ややり方などで「壁」にぶちあがり、深く悩み、何をしたらよいのかわからなくなってしまう。

しかし誰もが避けたがる「つらい」感情こそ「青春」なのだと喝破している。本書はその喝破している理由を綴っているが、これは「つらい」という言葉が耐えない日本人にとって紛れもない「薬」と言える一冊なのかもしれない。

PART1「答えはきみの瞳のなかにしかない」
最近ではあまり聞いたことがないのだが、一昔前、ちょうど2000年代後半あたりに「自分探しの旅」「自分探し」という言葉が乱舞していた時代があった。
ではなぜ「自分探し」をするのだろうか。それは自分自身はどのような人間なのか、自分にはどのような役割を担っているのか、その「答え」を求めて旅などをするのだろう。
その答えを求めるだけではなく、「人生設計」や「安定した人生」を私たちの時代から考える傾向にもある。著者はそれも「早計」であるという。焦って答えを求めず、安定を求めず、自ら様々なチャレンジをする、失敗することによって「不安定」や「失敗」を積み楽しむことが若さの特権である、そう言っている気がする。

PART2「思っているほど底は深くない」
「貧困」という言葉が乱舞して久しい。
長い不景気から脱し始めた2004年頃からは「格差」が言われはじめ、それから2~3年後には「貧困」が言われ始めた。そのときに小林多喜二の作品やマルクスの「資本論」やそれに関する本が多数出版され一大ブームにまでなったほどである。
しかし「派遣切り」や「貧困」と言われる人は「不幸せ」なのか。「人生のどん底」なのか。よく考えてみる、もしくは周りを見てみると自分以上に「どん底」と思える人、もしくは「底」が抜けて底なしの奈落に落ちている人もいるかもしれない。「一億総中流」の考え方よろしく自らの周りを見たとき、「どん底」という考えも変わってくるのかもしれない。

PART3「奇跡は少しずつ叶えられるものだ」
「奇跡」とはいったい何なのだろうか。国語辞典の意味では、

「常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。」goo辞書より)

だろう。では自らの「モノサシ」で定義してみると、そのモノサシから逸脱した事象・モノ・考え方の事を指すのかもしれない。
では、その「奇跡」はどのようにしたら起こるのか。
「わからない」という回答をする人もいれば、「そういうことを想像すらしたことがない」と回答するひともいることだろう。
しかし「奇跡」はいつも身近なところにある。名言に、

「もし自分にできることをすべて実行すれば、その結果に文字通り、びっくり仰天することだろう。」

というトーマス・エジソンの名言がある。「やったつもり」、あるいは「やりたいけどできない」とゴタクを並べる人がいる。つべこべ言わずにいろいろな事を実践し、鍛錬をしていくことによって人は誰にでもなれる。やってみたい、叶えたい夢も叶えることができる。努力や鍛錬は思った通りの方向には行かないが嘘はつかない。それもまた道理の一つなのかもしれない。

PART4「「明日」が導くきみの人生」
本章ではあなたが大学を卒業したらどうしたらよいのか、そのために大学はいったいどのように過ごせばよいのかを綴っているが、自分自身大学を卒業してから4年経つ。その4年前までの大学生活で何をやったのか、というとサークル活動とアルバイトが中心で恥ずかしながら大学の成績は芳しくなかった。しかしそれらを通じて様々な体験をすることができたことは今も生きていることは自らの体験でも証明できている。
大学から何を学ぶのか、そして大学を出て何をするか、それを考えるだけでも自分の人生を良くも悪くも変えることができる。

「つらい」というネガティブな感情は誰にでもある。しかし「運命」や「宿命」とは違いその感情からは逃げることができる。そうなれば一時的に楽にはなるだろう。しかしその後「つらい」という感情はハイエナの如くやってきてその人の感情を苛む。
「つらい」とは「大変」なことである。しかしよくよく考えると「大変」という文字は「大きく変わる」から大変と言える。自分の人生を変える、充実するからでこそ「つらいは青春」と言える。