メディアの発生―聖と俗をむすぶもの

「メディア」というと皆さんは一体何を思い浮かべるだろうか。
おそらく大多数の方々は「新聞」や「TV」や「インターネット」といったものを思い浮かべるだろう。

確かに「伝える」という観点で「メディア」として成り立っているようだが、本当のメディアの定義はこうである。

(1)手段。方法。媒体。特に,新聞・テレビ・ラジオなどの情報媒体。
(2)情報を保存する外部記憶装置の媒体。磁気ディスク・MO ディスクなど。
(3)情報を頒布する手段。コンピューターの分野では,(2)のメディアに加え,通信回線などが利用される。(goo辞書より)

本書は、(1)の前半に当たる「本当のメディアの在り方」というのを解き明かしていくという一冊である。メディアといっても多岐にわたっているせいか、本書の頁数も膨大である。買って読むときは相当な覚悟が必要なのかもしれない。

第一章「「むすび」の構造――日本の精神世界」
日本には「八百万」といわれるほどいる「カミ」の進行にまつわる精神について考察しているしているところである。
神それぞれの儀礼というのが宗教ごとにあるためか八百万通りあるのではという考えをもつ人もいるが、八百万の神々のほとんどは神社に祀られており、「お祭り」といった儀礼も愉しみながら願いを託すということが可能である。

第二章「宮中のど自慢――『梁塵秘抄』の知識社会学」
「のど自慢」と言ってもカラオケのように歌を歌うわけではない。平安時代の後期の宮中の「のど自慢」についてであるため、短歌を「詠う」というような表現になる。

第三章「大地との対話――逢坂の関から」
第一章で、日本は「八百万」の神がいると言ったが、大地も例外なく「神」がいる。よく建物を建立する前の竣工式では神主が地鎮の祝詞を唱えるなどの儀式を行ってから工事を行うというのが通例となっている。大地のありがたみというのを感じさせるという宗教間も日本の良さの一つである。

第四章「メディアとしての身体――おどり念仏から河内音頭まで」
こちらは踊りである。

第五章「神々の市場戦略――熊野を中心に」
市場戦略というと宗教や哲学とは無縁のように思えるのだが、本章では無縁なものを遊園にしているのだから面白い。
ここでは「熊野古道」で有名な「熊野」をピックアップしている。

第六章「サロンとホステス――遊女の系譜」
日本にはキャバクラやフーゾクというのが至る所にある。この文化は非常に深く、平安・鎌倉時代からあるのだというから驚きである。ちなみに最初の起源は「遊女」、もと巫女の一種であるという。

第七章「『平家物語』と知的所有権――「語り」の組織社会学」
「平家物語」というと平安時代末期の平時と源氏との戦い、特に「壇ノ浦の戦い」にて平時が滅亡したというのは有名な話であり、この「平家物語」が平氏へのレクイエムという意味合いも込められている。
本来であればひっそりとしたものを描くはずだったのだが、平家物語は数多く読まれるのみならず落語(「源平盛衰記」)や歌舞伎の演目(「義経千本桜」他)にまでなったほどである。幅広く読まれるとなると「知的所有権」というタイトルになるのもおのずとわかる気がする。

第八章「祝福のうた――「ほかひびと」の諸相」
「ほかひびと」というのは「祝師」と呼ばれており、婚礼などの祝い事に際して歌を唄うという役割を担う「瞽女(ごぜ:盲目で三味線などの弾き語りをする女芸人)」のことを表す。非常に古そうに思えるのだが、これは近世までは全国的に存在したのだが、20世紀になると新潟を中心としたという。現在でも実在しており、「高田系」と「長岡系」の2派がそれぞれ後世に伝承するために尽力しているそうだ。

第九章「「節」の研究――説経から演歌まで」
「節」というと俳句・川柳(五・七・五)、短歌・狂歌(五・七・五・七・七)、都都逸(七・七・七・五)と多岐にわたる。こういったリズムをつけるというのは日本人には聞き入りやすい。広告でもワンフレーズのほかにもこういった七五調のリズム、演歌の世界でもそういったものが取り入れられているところをみると、日本語による独特のリズムというのも窺える。

第十章「旅するこころ――遊行と道行」
「旅」というと様々なところを新幹線などの交通機関を利用していくことができるのでなかなか便利になった。しかし昔はというとほとんどが徒歩であった。松尾芭蕉も「奥の細道」で俳句をしながら旅をし、約2700もの石碑(句碑)が存在する。
また「自分探しの旅」というのがよくいわれるのも日本ならではの特徴で「旅」に関する愛着が特別なものと考えられる所以なのかもしれない。

第十一章「ノンフィクションの研究――「読み物」と「語り物」」
ノンフィクションの作品というのは書店に行けばいくつもある。「ノンフィクション作家」という肩書も存在するほどであるから、どれだけ浸透しているということが分かる。
ではこの「ノンフィクション」はいつごろからできたのか。本書では「平家物語」や「太平記」といったものから取り上げているところをみると、歴史は深いように思える。

第十二章「劇場の時代――装置と演出」
「劇」というと日本では「能」や「狂言」、「浄瑠璃」、「歌舞伎」、「落語」、「講談」、「文楽」というものがある。この「劇」は日本における宗教「神道」にある「神楽(舞)」というのがその祖にあたる。宗教性をもってはいるものの、今でも奉納や安全祈願のために、方法は違えど「神楽」は生き続けている。

本書は「メディア」ということに関して書かれている一冊であるが、新聞や雑誌、TVニュースなどの「マス・メディア」のことについてはほとんど触れられていない。そういうことを知りたい人は本書は読むべきではないが、「メディア」そのものの在り方について知りたい人、さらに民俗学について、日本文学について学びたい人にとっては本書が適している。ただボリュームもさることながら、内容も多岐にわたるため知りたい所から入っていき、数日かけて読んでいくという方がいいと思う一冊である。