日本でも憩いの場として、あるいは練習の場として「カラオケ」を利用する人が多い。最近では「一人カラオケ」も人気がでてきており、専用のカラオケボックスも出てきた。
日本に限らず世界中でカラオケは広がりを見せ、かつ愛されているのだが、本書はそれらを社会的見地から追っている。
1.「誰がカラオケを発明したのか?」
そもそも「カラオケ」は「いつ」「誰が」誕生させたのか。それ自体諸説あり、しかも「特許権」を巡って論争の的となっている。
日本の説では、1960年代頃からマイク付きのジュークボックスが誕生しており、それを使って歌うようになった。
「カラオケ」と初めて称されるようになったのは1971年に井上大佑が「エイトジューク」を発明したことが始まりである。
2.「カラオケフィーヴァー―日本と韓国」
日本で業務用カラオケが販売されたのは1976年、それから80年代後半には「カラオケボックス」が誕生し、爆発的に広がりを見せていった。今となっては社会人だけではなく、高校生・大学生の憩いの場として親しまれているだけではなく、家族連れ用のカラオケボックスも出てきている。
韓国でも2002年あたりから、日本でカラオケボックスを表す「歌房」が誕生し、「国技」と胸を張るほど広がりを見せていった。
3.「カラオケ・ワンダーランド―東南アジア」
日本・韓国では売春に使われることは滅多にない、どころか迷惑ものとして扱われるが、東南アジアでは「女をひっかける手段」として「カラオケ」があるのだという。そういった陰湿なものばかりではなく、文化の基点としての「カラオケ」も忘れてはならない。
4.「カラオケ宮殿とディズニーランド―中国」
中国も他のアジア諸国と例外に漏れずカラオケは広がりを見せているが、他の国々と違い、爆発的ではなく、むしろ成長したのち、「時代遅れ」として衰退の一途をたどっているのが現状であるという。
5.「魂のカラオケーカラオケと宗教」
宗教とカラオケとして「仏教」「キリスト教」双方の観点から考察を行っている。特に「キリスト教」では宗派の違いか、あるいは地域の違いによって「カラオケ」そのものが禁忌とされていたり、逆に繁栄の対象としているところが興味深い。
6.「「全裸カラオケ」とカウボーイ―北米」
章のタイトルを見るからに「たけし軍団」が出てきそうに思えてならない。
私観はさておき、日本と同様の広がりを見せた北米ではカラオケ大会などを催しているのだという。
7.「カラオケ人―英国」
アジアとヨーロッパ・北米では「カラオケ」に対する考え方が異なる。アジアではあくまで「娯楽」としてとらえられており、ヨーロッパ・北米では「スポーツ競技」としてカラオケが成り立っている。カラオケの世界大会も行われているが2003年にアジア諸国が参加を拒否したのはそのためとされている。
英国も同様にスポーツとしてとらえられているだけではなく、大衆文化として「カラオケ」が成り立っており、かつ、自分自身を「カラオケ人」と称しているほどである。
8.「「カラオケよ永遠に」―ヨーロッパ」
元々ヨーロッパ諸国に「カラオケ」が伝わったのは1990年代にカラオケのTV番組が放送され、瞬く間に人気番組となったことが背景として本章では挙げられている。
9.「ブラジルのカラオケ―ニッケイジンの物語」
ブラジルは南米に位置していながらも日本との縁も深い。そのためカラオケも瞬く間に浸透したのだが、日本のカラオケ観と北米・ヨーロッパのカラオケ観が合わさり伝わった印象が強い。
10.「カラオケ革命―カラオケ・テクノロジー」
もはやカラオケはカラオケボックスやバー、ディスコなど施設を使って行うものから、家庭用カラオケやカラオケゲームも出てきており、ますます身近な物となり、その技術も進化の一途を辿っていく。
「カラオケ」は「各国の文化」としてではなく「世界共通の大衆文化」として成り立っている節がある。1971年に初めてカラオケが誕生してから41年経つが「カラオケ文化」は誕生した人の予想を遙かに越えた進化を遂げている。「歌」は「食」とともに人を喜ばせる。それは「カラオケ」も例外ではなく、世界共通として認知されているとおり、「カラオケ」もまた人を喜ばせ続けることだろう。
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