「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代

今は「生きづらい」時代と言われている。その背景に「他者の排除」があり、「価値のある人間」として認められている「承認」の欠乏があるのだという。

その「承認」を得ようとして、また他者を排除するという悪循環が、人間関係をギクシャクさせ、「生きづらさ」に拍車をかける悪循環となる。

しかしなぜ「認められたい」という「承認」の感情を要求するのだろうか、そして際限ない「承認」への欲求から脱するにはどうしたら良いのかを分析しているのが本書である。

第1章「「認められたい」の暴走」
「承認」は「ありのままの自分」そのものを認め、受け入れてくれる感情そのものを表す。しかし今の社会ではその「ありのままの自分」を表そうとすればするほど、他人の気を悪くさせ「孤立化」してしまう。
それを避けるため、あえて異なる「キャラクター」を演じて「承認」を得ようとして、「ありのまま」を表現できない感情がストレスや「闇」として蓄積していく。それが「暴走」して突飛な行動にまで起こすような原因にさえなる。

第2章「なぜ認められたいのか?」
なぜ、自分とは違う「キャラクター」を演じてまで「承認」を得ようとするのか。
「承認」を受け取るのは自分自身であるが、与えるのは家族や同僚、友人などの「他人」に他ならない。その「自分」と「他人」の関係は「対等」なのか、もしくは「主従」の関係にあるのだろうか、という違いによって「他者」のあり方も異なる。本章ではそれらのことについて「心理学」やフッサールの提唱する「現象学」とともに考察を行っている。

第3章「家族の承認を超えて」
家族を越え、他者に対して「ありのままの自分」をもって「承認」を得ようとするためにどうしたら良いのか。それは自分自身でも「ありのままの自分」を親をはじめとした他人に常日頃から表すことが大切であるのだが、その親ですら、顔を伺うように違う「キャラクター」を演じるようになってしまう。それが「承認」に対する要求への渇望が進んでいる根源にも近い。

第4章「現代は「認められたい」時代か?」
家族環境の変化もあるのだが、「承認」への要求が強くなっていった要因はそれだけではない。社会そのものも「自由」がある一方で「相対主義」や「ニヒリズム」が蔓延っている。その社会と自分に対する「承認」にズレが起こり続け、第1章にあるような「ストレス」や「心の闇」として蓄積する。

第5章「承認不安からの脱出」
その「承認」を得るべく「~ねばならない」ような風潮、いわゆる「空気」に苛まれる。「承認」をありのままの自分のなかで得るためにはどうしたら良いのか、自分自身がそれを得られる「居場所」を見つけるために行動をする、それがなければそれを「自分で作る」、もしくは相手に対して賞賛をする、認めることもまた脱出法の一つとして言える。

「承認」の欲求は人間にある感情の一つとしてあるのだが、近年はその欲求に対して満たされなくなり、それに伴って強くなっていった。しかしそれが悪循環となり「無縁社会」といった「絆の希薄」という事象もある。その「承認」感情を薄れさせるには時間がかかるが、「因果応報」にあるように「相手」や「他人」を認める・賞賛する風潮を自分、そして周りからじわじわと作ることが大切なのではないだろうか。

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