割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題

私自身、自炊するのだが、時々スーパーやコンビニで総菜を購入する。その際に「割り箸はいりますか?」と聞かれるのだが、ほとんどの場合「いらない」という。その理由は環境問題というよりも、ゴミが増えてしまい、処理が面倒という理由からなのだが、実際に割り箸がもったいないというのも理由としてある。

本書はその割り箸からどのような環境問題が存在するのか、本書は割り箸づくりの現場をはじめ、世界中の割り箸を取り上げつつ、「割り箸」という基軸から見てどのようなものが見えるのかそのことについて追っている。

第1章「割り箸づくりの現場から」
日本で使われている割り箸の多くは外国からの輸入品である。もっと言うとその多くは中国製であるのだが、2006年に中国が割り箸の対日輸出を停止するというニュースがあった。その結果割り箸の使われる居酒屋では割り箸を廃止し「マイ箸」を携行させる動きもあったのだという。ただこれについて、いつかは不明なのだが終息し、現在も同じように割り箸が使われている。本章はそういった現状だけではなく、割り箸生産の現場について、奈良県の吉野が取り上げられている。

第2章「「もったいない」から生まれた割り箸」
そもそも割り箸はいつごろからできたのか、本章では300年の歴史が存在しているという。300年というと、江戸時代の中期にあたる。しかし割り箸以前にも箸は存在しており、使われだしたのは、「古事記」の時代にまでさかのぼるのだという。
ほかにも割り箸には清潔に使われることと使い心地についての役割について言及されており、本章のタイトルにある「もったいない」は洗浄コストのことを表している。

第3章「市場を席巻する中国製割り箸」
もともと箸文化は中国大陸にて誕生し、それが日本に伝来したのだという。その影響があるのか不明なのだが、第1章でも述べた通り、日本における割り箸の輸入で最も多い輸入先は中国である。その中国で割り箸が生産される中で、世界における木材市場がいかに変化しているのかそのことについて取り上げている。

第4章「寄せては返す、割り箸不要論」
そもそも「割り箸不要論」はいつごろから出てきたのかというと、1989年の「WWF(世界自然保護基金)」から発表された内部資料だった。それが世界中に報道され、日本でも割り箸批判が相次ぎ、環境問題の観点から「割り箸不要論」が出てきた。実際にその理論から東京都をはじめ、庁舎や学校の食堂から割り箸を廃止したところも出てきたのだという。
その「割り箸不要論」や割り箸に対する批判に関して著者は幾度も論争を行ってきたのだという。その論争の中で出てきた割り箸批判・割り箸不要に対しての批判について本章にて取り上げている。

第5章「国産割り箸に未来はあるか」
では国産割り箸はどうなのだろうかというところについて取り上げている。割り箸の生産量というよりもむしろ、2004年に起こった「木炭騒動」について取り上げられており、その原因は第3章であった中国からの禁輸があったという。それは日本においてどのような影響があったのかというと、「炭火焼料理が消える」といった騒ぎにまで発展したのだという。それだけ日本の木材は海外(特に中国)を頼りにしており、国内の生産は脆弱ということを証明してしまった。
しかしそういった状況にも解決法は存在する。その一つとして日本の木材を中国に輸出し、中国で割り箸を生産したのち、日本に逆輸入するというアイデアが本章にて紹介されている。ほかにも国産割り箸を広告媒体として使うなどビジネスの発想から解決方法を探っている。

第6章「割り箸から読み解く環境問題」
そもそも割り箸は環境問題にかかわりがあるのかというと否定できないが、割り箸を作る事で環境破壊につながるのかというと、必ずしもそうとは言えない。もともと人工林も木材生産のために役立てられており、割り箸はその余剰分でできたものでできている。また森林伐採そのものがだめで、なおかつ植林を増やすことになってしまうと、今度は森林飽和が起こり、それもかえって生態系を破壊している減少にある、いわゆる「緑の砂漠」と化す事態となる。特に森林飽和や「緑の砂漠」に関してはメディアでも取り上げられない。

日本における割り箸文化は江戸時代から存在しており、それがまた日本人における人間と自然との共生の一つの役割として成り立っていったといえる。しかし現実で言うと、国産のシェアは圧倒的に少なく、中国産がほとんどである。その現実に対し、割り箸はどのような道をたどっていくのか、それは私にもよくわからない。

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