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太平洋戦争

東京大空襲の戦後史

大東亜戦争時、東京にて空襲を受けたのは1944年11月から、1945年8月15日の終戦までで100回以上空襲を受けたのだが、特に大きなものとして1945年3月にあった空襲が特に規模が大きく、次章以降でも述べるのだが、多くの民間人が10万人以上も命を奪ったとされ、「東京大空襲」の象徴的な部分として挙げられる。 なぜアメリカは東京大空襲を行ったのか、そしてその後の戦争被害と東京裁判などにおいて、どのよ […]

プロ野球オーナーたちの日米開戦

日本においてプロ野球が生まれたのは1920年の時である。ちょうど100年を過ぎたのだが、コロナ禍においてもプロ野球は根強い人気を誇っている。強さを追い求めるチーム、パフォーマンスも含めたチーム、地域に根ざしたチームなど様々である。大東亜戦争以前にもプロ野球チームが存在しており、チームの中にオーナーも存在していた。本書ではそのオーナーに焦点を当て、オーナーたちとプロ野球、そして大東亜戦争との関わりが […]

国民義勇戦闘隊と学徒隊 隠蔽された「一億総特攻」の記録

大東亜戦争が終結して76年を迎える。この大東亜戦争の歴史は様々な思いが交錯し、なおかつ召集された人たちはもちろんのこと、普段から住み慣れたところから戦禍となり、疎開せざるを得なくなるといったこともあった。 そして本書は終戦間際に総力戦の象徴の一つとして「国民義勇隊」、後に「国民義勇戦闘隊」となったのだが、その変遷について取り上げている。 第一章「「本土決戦」と国民義勇隊の創設」 敗色濃厚の状態の中 […]

孫子が指揮する太平洋戦争

大東亜戦争は日本にとって敗戦となた一戦であったのだが、その歴史の中に「if」があるとしたらどうなるのか。そもそも歴史を学ぶにして「if」はタブーであるのだが、そのタブーを犯しても孫子の兵法ではどのような戦いになっていくのか、大東亜戦争の中で有名な戦いをシミュレーションしている。 第1章「真珠湾攻撃―兵は詭道(きどう)なり」 1941年12月8日に日本海軍のハワイの真珠湾沖で奇襲攻撃を行ったと言われ […]

電話交換手たちの太平洋戦争

「電話交換手(でんわこうかんしゅ)」という方々がかつていたが、今となっては全く言ってもいいほどピンとこない。そんな方が多いので、ここで詳しく説明する。 今となっては携帯電話にて遠距離で電話を行うと「ププッ」と言う音が何度か聞こえるが、これは自動交換機によって、リレー方式に回線の自動交換を行っている。これができたのは日本では1965年の事で、それから自動交換が広がり、全国津々浦々まで伸びたのは1 […]

SL機関士の太平洋戦争

大東亜戦争(太平洋戦争)は様々な記録・記憶が残っているが、本書はSL機関士の観点から大東亜戦争とは何だったのか、元機関士の証言をもとに綴っている。大東亜戦争前は日本本島もさることながら、満州や台湾、朝鮮半島での近代化も行われてきたのだが、中でも鉄道は輸送機関として貴重なインフラ資源だった。 第一章「機関士を目指した愛国少年たち―14歳で機関区の門を叩く」 戦前、SL機関士は少年にとって憧れの職業で […]

靖国神社の祭神たち

ちょうど68年前の今日8月15日は、大東亜戦争(太平洋戦争)が終結した。全国各地で戦没者慰霊が行われる。 と同時に戦没者慰霊として靖国神社に参拝する方々もいる。国民の中には国会議員もおり、閣僚もいる。かつては首相も公式参拝していたが、国際事情もあってか参拝しなくなった。 この靖国神社の参拝を巡り中国・韓国をはじめとした国々は非難の対象にしている。その理由はA級戦犯が祀られているからであるという。し […]

日本は負けたのではない 超経験者しか知らない大東亜戦争の真実

本書の著者である中松義郎という方はご存じだろうか。この方の別名は「ドクター・中松」、日本の発明王をほしいままにした方である。その一方で著者は1928年生まれであり、大東亜戦争にて海軍将校として戦地に赴いた経験を持つ。そのため著者の経歴には、「最後の帝国海軍将校生徒」というのをつけている。 本書は発明家であるドクター・中松ではなく、中松義郎の軍人時代を振り返りながら大東亜戦争とはいったいどのようなも […]

1941 日系アメリカ人と大和魂

1941年と言えば、12月8日に日本が真珠湾へ攻撃を行い大東亜戦争が開始された年であった。当時から日米関係が緊張状態にあり、いつ戦争が起こってもおかしくないような状況に陥っていた。 日本では政府による英米文化そのものを楽しむこと自体御法度とされ、米国では日系人に対する強制収容も行われた。 本書の著者は2001年からアメリカに在住し、日系アメリカ人社会と出会った。その出会いから第二次世界大戦から始ま […]

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

1945年8月9日 午前11時2分 3日前の広島に続いて、アメリカの戦闘機「ボックスカー」が長崎に原爆「ファットマン」が投下された。約15万人もの人々が原爆により命を落とし、長崎の街は壊滅的なダメージを受けた。 本書はその中から「(浦上)天主堂」とあらましについて日米の歴史・戦後の関係とともに考察を行っている。 第一章「昔、そこに天主堂の廃墟があった」 長崎にも原爆は投下され、甚大な被害を受けたが […]