世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと

世界の1%が世界の全資産の半分を独占しているという。さらに言うと世界の大多数が1日1ドルで暮らす人々であるという。富裕層は貧困から見て雲の上の存在、見えない存在となっている。逆に富裕層は貧困の生活は想像できないし踏み込むことはごくわずかである。通信企業やNGOやNPOらがようやくこの窮状を伝えたときに重い腰を上げるがそれもわずかしかいない。当然貧困を救うために今日でも募金活動は続いている。本書ではこの貧困についての寸描が書かれているが一部だけ紹介する(p.36より)。

世界で8億4000万人以上が栄養不良の状態にある。
毎年600万人に上る5歳未満の幼児が栄養失調で死んでいる。
世界で12億人の人々が、1日1ドル未満で生活している。世界の人口の半分が1日2ドル未満で生活している。
年に1200万人が水不足で死んでいる。11億人が浄水を手に入れることができず、24億人が適切な衛生設備なしで暮らしている。

それを考えると今の日本はこれ以上ないほど恵まれている。健康のことにいつも気を遣い、さらにダイエットやスポーツにお金をかけるという人もいる。前の「非常識力」でカンボジアの人々が日本の事情を知って驚き「私たちは太れたら幸せなのに」と言っていた。もしかしたら今の貧困層の人たちの最初の理想はこれであろう。満足のいく食事ができて、満足のいくまで水が飲めて、今度は勉強ができて、働けてという順で願望があるのだろう。

そして目に見えない「貧困」はこの言葉とは縁遠い金持ちにもそういった貧困はある。しかし金によって物は豊かになる。しかし肝心なものが必ずと言ってもいいほど貧しくなる。心の豊かさである。何でも手に入るが、思ったものが手に入らないものに不平を言うということもある。さらには金があるからと言ってお金では手に入らないものまで金で解決しようとする。
さらに本書では貧困の定義についてこう言及している(p.63より)。

「貧困の反対は富ではなく充足である。満足、安心、安定した暮らしができること、これが貧しい人々が望むものである。それに代わって、彼ら(金持ち)は豊かさの追求を与えられるこれは充足をすり抜けて進み、満足をどんどん手に入れにくいものにしていく貧困の定義が大変難しい理由はここにある」

つまり貧困層が充足できるものを得たとしても金持ちなどの富裕層が充足できないものにケチをつけて貧困だと自分たちが訴える。ある種の詭弁であるように思えるのだが、貧困の反対が充足である以上、充足できるまでそれが乏しい状態、つまり貧困であるという論理になる。貧困の定義から言ったら非常に難しい。もっと考えると貧困は解決しても新たな貧困が生まれるというイタチごっことなり永久に解決できないのではとも考えられる。

さて貧困層のが死となると国の人権問題にかかわることであるが、この世界人権宣言にも「食べること」や「教育を受けること」などの経済的抑圧からの自由がないと本書は指摘しているが、前者はWHO、後者はユネスコが行われる。しかし貧困層へのということであればそれらとのリンクも考えなくてはいけないだろう。
貧困というのは簡単なようで定義づけが非常に難しく、それを解決しようがないほど難解なものになっているが、貧困層が最低限生活できるということがまず最初の貧困の解決であろう。