ロビンソンくるぞ

本書のタイトルが、ダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」を捩ったように思えてならない。しかし本書の主人公のあだ名が「ロビンソン」というのだから本書のタイトルがこうなるのは仕方がないと思う。

本書はロビンソンと家庭教師の三郎さんとのドタバタの物語であるが、彼が住んでいる家には家で少年や少女や大人が転がり込んでの共同生活という、まさに「奇妙」な生活を描いている。

直接的な感想としてはしっかりとした意思で読まないと、本書のレトリックに引きずり込まれてしまうようであった。あたかも「文章のブラックホール」であるかのように。

三郎さんの部屋に対するネーミングセンスは光っていた、というよりもそれぞれのキャラクターを如実に出すようなネーミングであった。

不思議に思ったのはそれだけではなく、ロビンソンのみならず、てっちゃんやなっちゃんのやりとりも情緒的、精神的ながら妙な力をもっているような気がしてならない。論理とはちょっとかけ離れたものではあるが、論理では決して表すことのできない素朴さというのを感じ取ることのできるやり取りが多かった。

最後に感覚的な表現になるのかもしれないが、ロビンソンやてっちゃん、なっちゃんがことばという名の「クレヨン」でいろいろなものを描きだした。そして三郎さんや洋介さんの大人たちがそれを鉛筆や筆で1枚の絵にさせている。本書はこういった表現のできる一冊であった。