もはや「国民食」として愛されているラーメン。そのラーメンも時代とともに変化をしている。名店と呼ばれる所では日本各地に支店を出し、カップラーメンのプロデュースまで行い、かつカップラーメンもカレーやトマトなど味も多岐に広がっていった。
そもそもラーメンは水戸光圀が中国大陸から輸入したものを食したことが始まりと言われているが、広くインスタントがつくられ、現在のように広く食され始めたのは戦後になってからのことである。
本書は「日本人の食」の変化とともに、「ラーメン」及び「ラーメン屋」そのものの変化といった「ラーメン」を中心とした歴史と文化の変遷に対する考察を行っている。
第一章「ラーメンとアメリカの小麦戦略」
ここでは戦中・戦後のアメリカの農業戦略とそれによる日本の農業事情について触れられている。
日本が戦時中の食糧事情は年が経つにつれ悪化し、終戦を迎えた後も厳しい状態が続いた。その一方でアメリカでは計画経済の手法で小麦を中心とした大量生産を行ったが、戦後それが余剰生産物となり日本をはじめ欧州に提供することとなった。日本も小麦の生産はあったものの単価が高かった。それ故か輸入小麦に太刀打ちできず、生産が悪化していった。
その小麦の使い道として「パン食」が広がり始めたが、その文化に疑問を持った日清食品創業者の安藤百福は麺食があることに気づき、動いた。
第二章「T型フォードとチキンラーメン」
車とラーメンの比較と言うよりも、むしろ「大量生産」という言葉に共通点がある。フォードが大量生産技術し、発達したのは1908年の時である。その「大量生産技術」は1955年に発売されたチキンラーメンに受け継がれた。
第三章「ラーメンと日本人のノスタルジー」
ラーメンと日本人のつきあいは深いが、その中でも「渡る世間は鬼ばかり」や「ALWAYS 三丁目の夕日」といったドラマ・映画作品、さらには夜食・独り暮らしとしてのラーメン、さらには「あさま山荘事件」とカップラーメンについての考察を行っている。
第四章「国土開発とご当地ラーメン」
「ご当地ラーメン」といえば、私の故郷・旭川では魚介類・豚骨・鶏ガラをベースにつくったダシと太ちぢれ麺、そして暑さが逃げないようにスープにラードを入れた「旭川ラーメン」、そして私の住んでいる神奈川では醤油味のスープとラーメンの上に歯ごたえが残る程度に炒めたもやしを水溶き片栗粉の餡で絡めて乗せた「サンマー麺」が挙げられる。
本書ではその「ご当地ラーメン」の歴史と批判について展開をしている。
第五章「ラーメンとナショナリズム」
私も年に数回ではあるがラーメン屋でラーメンを食す。そのラーメン屋にいくと、「人生訓」や「ラーメン訓」といった筆書きでかかれたものが壁に貼られている。故郷・旭川の名店である「青葉」にも「親父の小言」があり、有名である。
そいうものが増えた特徴として料理や食の番組が急速に増え、それが一種のナショナリズムとして確立させた1990年代以降のメディアとラーメンの関係について考察を行っている。
「日本食」というよりも「大衆食」として確立されたラーメン、そのラーメンはリーズナブルに食べられるものから、具材やダシからこだわり抜いた高級食としてのラーメンも存在する。日本人とラーメンは切っても切れないものであるが、その歴史についてよくわかる一冊と言える。
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