見るからに過激なタイトルと言えるのだが、そもそも人間は騙されやすいモノと言えるのかもしれない。しかし年を取っていくうちに、知見が広がり、経験がつくようになり、考え方も熟成され、騙されることは低くなるのかもしれない。
しかし、若者世代が受け止めてしまうような「常識」や「世間」「大人の意見」などを受け止めてしまう。そのことを著者である春山満氏は危機感を抱き、本書、及び同名のMBSラジオ放送で訴えている。
著者は27歳の時に筋ジストロフィー症を受け、首から下まで動かなくなり、長年車椅子を送りながら社長の激務を厳しく・激しく乗り越えてきた「車椅子の闘将」がこれからの未来を担う若者のために熱いメッセージを送っている。
第一章「失くしたものを数えるな!」
「失くしたもの」は、例えば人生において失ったもの、例えば過ぎ去った時間もあれば、人間関係もある。しかも著者は五体満足を失くしている。しかしその「失くしたもの」を数えるだけでも時間のムダであると喝破する。
「失くしたもの」を数えるよりもむしろ、今あるものを「活かす」ことによって生き残ることができるし、発展することもできる。
他にも、最初にも書いた「社会」や「常識」、さらには「出会い」や「真似ること」についての提言も行っている。
第二章「負けた勝負を忘れるな!」
マンガの話になってしまうのだが、「スラムダンク」の最終巻にある山王工業の監督の言葉として、
「「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる」
というのがある。
人は必ずと言ってもいいほど「負け」試合は存在する。自分自身も勉強に、仕事にと色々な所で「負け試合」をつくってしまう。
しかし、負けた試合は必ずと言ってもいいほど価値がある。もっと言うと自分自身にとっての深い傷となり、必死になって原因を探り、勝利への糸口を見つけ出すことにある。そして負けた試合は「なれ」や「慢心」、「驕り」に効く気付け薬にもなる。
他にも笑顔や人生の歩き方、寂しさに関して提言を行っている。
第三章「夢なんて見つけようとするな!」
人は誰しも夢を持て、と言われることがある。
しかし著者に言わせれば夢を見つけたり、叶えたりすることは30代以降になってからもできる。むしろ若い時代はがむしゃらに働き、がむしゃらに悩み、がむしゃらに笑い、がむしゃらに失敗していくことによって、思いもよらぬ「夢」を見つけることができる。そして見つけた「夢」は必死にもがきながら追いかけていく。
第四章「組織のために働くな!」
組織はめまぐるしく変わる。しかし組織の長に立つものは、一人ないし二人くらいである。組織として自分の役割をもって働くことは大切であるが、それが最終目的・目標になってはいけない。自分自身が何のために働いているのか、と言うことをがむしゃらに働きながら見つめていくと、組織では無く、社会のために働いていることになる。
そして本書で最も主張していることとして、若者世代は今までの固定観念を叩き壊すくらいの勢いが無いといけない事も主張している。未来は若者世代の手にあるのだから。
第五章「情報に流されるな!」
今となっては本もインターネットもたくさんの情報を流している。あたかも濁流のように流れているからでこそ、地に足をつけて全体を見る、データの裏付けを行うことによって確かな情報を手に入れ、ビジネスとして、そして世の中として成長を成長することができる。
第六章「売り込むな!」
営業というと「売り込む」ということを連想するのだが、そのこと自体大きな間違いであり、むしろ営業は相手のニーズを聞き出す、ようは人間好きになる事によって、相手に対して「買いたい」とおもえるようになる。
第七章「言い訳するな!」
「詭弁」「能書き」と言う言葉が存在する。いわゆる「言い訳」に使われる言葉であるが、そのことはつべこべ言わず働けと言うことである。つべこべ言わずに毎日働き、働いたことを残し、ハードルを乗り越えながら日々精進をすることによって、人は成長することができる。
最後に私が著者の一人である春山満氏を「車椅子の闘将」と呼んだのか、というと、F1の世界で「ウィリアムズ」という強豪チームを作った監督であるフランク・ウィリアムズがいる。かれは著者と同じ時期に交通事故で下半身麻痺となり、車椅子生活を余儀なくされた。それから20年以上にわたり、車椅子生活でありながら、「F1で勝つ」ことを常に追い求め続け、常勝チームへと発展させたからである。畑は違うのだが、ウィリアムズと春山氏とが偶然にも同じようにおもえてならないからである。
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