「かるた」というと、有名なものでは、6月まで放映されたアニメ「ちはやふる」で取り上げられたほど有名な百人一首がある。これは平安時代に詠まれた和歌が100首取り上げられており、取った枚数を競うゲームである。
「かるた」と言えば、もう一つ「いろはかるた」がある。これは昭和40年代に一大ブームが起こり、現在は下火となっているものの、正月を中心に子どもたちに親しまれている。本書は「いろはかるた」とは何か、歴史を含めて考察を行っている。
Ⅰ.「「いろはかるた」以前」
もともと日本には「いろは歌」が歌われた。
「色は匂えど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」
七五調の和歌であるが、このいろはの47の最後に、もう一つ「京」が存在する。なぜ「京」が存在するのかについてはまだ説明がない。
この「いろは歌」が派生して、「京」を含めた48字をそれぞれ頭文字に置き、「いろは短歌」がつくられ、これが、「いろはかるた」の原点となった。
Ⅱ.「「ことわざかるた」について」
「いろはかるた」は「いろは・・・」をそれぞれ頭文字に据えた言葉、47首(ないし48首)で構成されたカルタである。そのヴァリエーションはいろいろとあるのだが、本章では最初に「ことわざかるた」を取り上げている。
これはよく使われることわざを「上の句」「下の句」に分けて、「上の句」を読み札に、「下の句」を取り札にしたものである。別名「たとへかるた」と呼ばれる。
Ⅲ.「「いろはたとへ」の成立」
「ことわざかるた(たとへかるた)」は、本章で紹介する「いろはたとへ」の一種である。本章ではかるたについても言及しているのだが、かるたに限らず、「いろは歌」単体と「たとえ話」を盛り込ませた書物も存在する。中には「いろは歌」「たとえ話」「歌舞伎」と融合した浮世絵も存在しており、本章にて紹介している。
Ⅳ.「「いろは譬尽」「世話いろは新絵解」について」
「譬尽」は「たとへづくし」と読む。これは「小野篁歌字尽(おののたかむらうたじつくし:刊行年不明)」という資料を用いている。そこには「石の上にも三年」「論語読みの論語知らず」などのことわざが47個「いろはにほへと・・・」という順に掲載されている。
また、「いろは歌」に「絵」を合わせた「世話いろは新絵解」というのも取り上げている。こちらは「ことわざ」というよりも平安時代における叙情を絵とともに収められている。
Ⅴ.「「京いろは」の誕生」
「いろはかるた」の話に戻る。本章から最後までは様々な「いろはかるた」が取り上げており、なかでも「京」「江戸」「上方」を中心に取り上げている。
本章では「京いろは」を取り上げているが、江戸時代中期に当たる1780年代に成立したものであり、「いろはかるた」の元祖と言われている。
Ⅵ.「「江戸いろは」の出現」
「京かるた」が伝えられた後に江戸に伝えられ、「江戸いろは」という新しいかるたが作られた。時代は江戸時代であるが、本章では具体的な時期は明確にされていない。そもそも「江戸いろは」そのものが誕生したのも諸説あるものの、有力な学説がないからである。
「江戸いろは」の特徴としてあげられるのが、今のかるたではよく使われる「いぬも歩けば棒に当たる」はこの「江戸いろは」から始まったと言われている。
Ⅶ.「「上方いろは」の広がり」
「江戸いろは」が作られたのと同時に、京から大坂などの「上方」で作られた「上方いろは」が存在する。「江戸いろは」に対抗して作られており、諺などのヴァリエーションが豊富な所が特徴としてあげられる。
Ⅷ.「もうひとつの「いろはかるた」」
「いろはかるた」には大きく分けて「京」「江戸」「上方」と分けられているが、その中には「役割」「名所」といったかるたまで存在する。明治以降になると、江戸・上方関係なく、スポーツや小学生、乗り物に至るまで題材の種類も多くなった。
Ⅸ.「付録「いろはかるた」解説」
何度も書いたとおり「いろはかるた」には様々な諺が収録されている。本章ではその諺について一つ一つ解説を行っている。
「いろはかるた」は今も日本の遊戯としては欠かせないものである。ただその歴史を紐解いていくと、奥深いものもあれば、まだまだ解明できないものも存在する。とはいえ「いろはかるた」は日本の遊戯文化の一つであり、様々な進化を遂げながら今日の「かるた」として形成されていることを忘れてはならない。そのことを本書を通じて伝えている。
コメント