「さもしい」と言う言葉はいったいどのようなものなのか。調べてみると、
「1.見苦しい。みすぼらしい。
2.いやしい。卑劣である。心がきたない。」(「広辞苑 第六版」より)
とある。パソコンの進化により、様々な情報が手に入る、経済成長により、モノが豊かになる。しかし欲望のベクトルは「モノの豊かさ」から「心の豊かさ」に、しかも「快適」や「自由」、「便利」と言う言葉に踊らされ、自分の利益のために利益を強く求め、それが著者から見れば「さもしい」という感情になっていると指摘している。著者に言わせれば、現代は「人類史上最もさもしい」と言えるという。その要因とは何か、そして著者が持っている理想とはいったい何なのか、それを見ていこう。
第1章「日常にひそむ「さもしさ」の光景」
著者が「さもしい」とおもえるようなことは、ごくありふれた日常のなかにもあるのだという。一つには「某ファーストフード店」のことである。著者も常連なのだが、待ち時価や席の混み具合について私見ではあるものの、「さもしい」と思ったのだという。
ファーストフード店の雰囲気、と言うわけではない。むしろ「安価」と言う点にあるという。これはファーストフード店に限らず、弁当屋や居酒屋、はたまたガソリンスタンド、セールなどでも同じことが言える。「不況だから、お金は絶対に使いたくない」「お金をどうしても残したい」という感情が「さもしい」と感じている。
第2章「「分」を守るということ」
ことわざに「分をわきまえる」というのがある。これは「自分の身の程や分際を承知して、出過ぎたまねをしない。でしゃばった行動を控える(Weblio辞書より)」とある。
本章で言う「分」はことわざとは異なり、
「ある人が持っている価値であり、分け与えられた性質や地位によって形作られる」(p.59より)
とある。つまり「身分」ではなく、自ら持っている「価値観」のことを指しており、価値観を共有する、ギブアンドテイクをすることによって利益・不利益を相殺し、独りよがりになる様な「さもしさ」が消える。
第3章「市場はけっこう残酷だ」
日本は言うまでも無く「資本主義経済」である。そのため市場競争は常に起こっており、競争の中には「勝者」いれば「敗者」も存在する。「カルテル」など独禁法違反、もしくはスレスレのことをやっている所以外では「勝者」「敗者」は必ずある。
これはビジネスの競争に限らず、「貧富の差」と言われる「所得格差」も同じことが言える。しかし「生活保護」や「格差是正」など本当の意味で貢献していない人に対して恩恵をうけるべきだ、と言う主張に関して著者は「さもしい」と思ってしまうのだという。
第4章「地球から「さもしさ」を消せるか」
元々日本人の考え方の一つに「困ったときはお互い様」というのがある。「さもしい」と言う言葉を消すためのキーワードとして選んだのだが、実際に「俺が、俺が」と自己主張や自己利益ばかりいう民もそうであるが、国家もあることから、地球全体から消せるか、というと非常に難しい。
「さもしい」と言う言葉のなかには、自分自身の「正義」を振りかざして、他人に対して迷惑を被らせる人も少なくない。本書の著者はこの「正義」と言う言葉を考察する、「政治哲学」を専門としている。「政治哲学」では「正義」に関しての考察を行っている以上、ありふれた生活の中に出てくる気づきも「正義」という観点から「さもしく」見えてくるのかもしれない。
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