ネルソン・マンデラ 私自身との対話

昨年の12月、南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラ氏が亡くなった。マンデラが大統領になったのは1994年。大統領就任に伴い、南アフリカをはじめとしたアフリカ大陸であった「アパルトヘイト」が廃止されてから3年後のことである。

自身の生涯を「反アパルトヘイト」を掲げ、激動の時代をくぐり抜けていき、「南アフリカの父」「人種差別撤廃の象徴」と歌われたマンデラの生涯を自らの対話でもって綴っている。

Ⅰ.「牧歌劇」
「対話」とひとえに言っても「自問自答」という訳では無い。
「対話」とひとえに言っても、直接会って差し向かいで「会話」をすると言うわけでもない。
ここでは友人・知人、さらにきっかけになった方々の「手紙」を通じた「対話」を行っている。その対話の中でマンデラはどのようなことを思ったのだろうか、それを回想している。

Ⅱ.「劇詩」
ここからはマンデラの生涯について、会話・手紙・自伝原稿をもとに対話している。
マンデラは大学の頃からデモに関わっていた。当時は「学生ストライキ」だったのだが、それが引き金となり、退学処分となった。そして第二次世界大戦中の1944年、アフリカ民族会議(ANC)に入党し、人種差別撤廃を掲げ「反アパルトヘイト運動」に取り組んだ。
しかし1962年、反アパルトヘイト運動やウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)といった軍事組織を作ったことにより逮捕され国家反逆罪として刑務所に収監された。この時は「466/64番」と名付けられた。その刑務所の中の生活、というよりもむしろANC入党から反アパルトヘイト運動への展開、そして逮捕から裁判に至るまでのプロセスが詰まっている。

Ⅲ.「叙事詩」
Ⅱの中で刑務所に入られたと言うところまでを紹介したが、ここでは刑務所の中のことを自伝・会話などをもとに対話している。
刑務所生活は約27年にも及び、その中で重病を患うこともあった。さらに刑務所の中で自伝原稿を書き始め、本書で紹介される自伝原稿の多くは刑務所の中で書かれたものである。ちなみにマンデラの自伝には「自由への長い道」があるのだが、そこには収録されなかった未発表のものがほとんどで、読者である私たちには知られていなかった過去を知る事ができる。
他にも「カレンダー日記」と言うものも収録されており、刑務所生活の後期のみだが、時系列で掲載されている所は、史料としてもかなり貴重と言える。

Ⅳ.「悲喜劇」
マンデラが釈放されたのは1990年。釈放直後からANC副議長として辣腕を振るった。翌年には議長に就任し、アパルトヘイトに関連する法律の廃止が決まり、長きにわたって続いてアパルトヘイトが終演することになった。その後1994年に南アフリカ大統領に就任し、人種格差の是正などに尽力した。その後公の場に表すことは少なくなった。そして昨年の12月にこの世を去った。確かある女優が「アフリカでは長老と言った大物が亡くなると『図書館がなくなった』と言われる」と言うことを聞いたことがあるのだが、マンデラの死はまさにその通りだったのかも知れない。

最後にこんな一文が目に付いた。

「服役中私を深く悩ませたのは、知らず知らずのうちに外の世界に投影された、誤ったイメージだった。聖人としてみなされたのである。私は決して聖人ではない。たとえ、聖人とは努力し続ける罪人であるという、世界的な定義を用いたとしても」(p.454より)

マンデラの服役中もそうかも知れないが、おそらくマンデラの死後も人種差別撤廃を求める人など、中には「マンデラは聖人」と呼ぶ人もいることだろう。しかしそのことについてマンデラは快く思っているのかと言うと決してそうではない。ましてや本書を通じてマンデラは自らの名誉を誇らしく掲げるわけではなく、むしろ自分自身のイメージを神格化して欲しくない、と言う意味合いから出版された。そのことを私たち読者は伝えられるのだろうか。