戦場に散った野球人たち

お盆のシーズンを迎えると同時に、高校野球甲子園のシーズンを迎えている。私自身サッカーや野球はあまりやったことがないのだが、高校野球は元プロ野球監督である三原脩の述べる「筋書きのないドラマ」を楽しめる戦いといえる。実際にこの高校野球で興奮したといえば1995年の2回戦「旭川実業 対 鹿児島商業」の試合、2004年の決勝「駒大苫小牧 対 済美」、そして引き分け再試合となった2006年決勝の「早稲田実業 対 駒大苫小牧」である。(どれも地元北海道に絡んでいる試合であるというツッコミはなしにして)

さて本書の話に移る。本書は高校野球では無く、プロ野球の話がほとんどであるが、そのプロ野球黎明期において活躍した選手がいる。その方々の中で戦場に招集され戦死した人を取り上げている。

第一章「巨人軍第一期生の最期 新富卯三郎
讀賣巨人軍(以下:ジャイアンツ)は今でこそ本拠地は東京であるが、ジャイアンツが誕生したところは1934年(昭和9年)に「谷津球場」にて「大日本東京野球倶楽部(以下:巨人軍)」、現在のジャイアンツが誕生した。そのため、谷津球場跡のある谷津遊園には「巨人軍発祥之地の碑」という石碑が存在する。
さて、新富の話に移るが、新富卯三郎(しんとみうさぶろう)はジャイアンツの誕生した1934年に入団し、第一次アメリカ遠征のメンバーとして参加した経緯がある。しかし遠征語は軍隊に何度か徴収され、大東亜戦争の時に戦地であったビルマ(現:ミャンマー)で地雷を踏み、戦死した。

第二章「戦前のタイガースを支えた元祖スラッガー 景浦將
戦前からタイガースというのは存在するが、この時は「大阪タイガース(現:阪神タイガース)」という名前であった。ともあれ「タイガース」の草分け的存在となったのが景浦將(かげうらまさる)の存在である。この人物は後に「あぶさん」の主人公である景浦安武のモデルとなった人物である。1936年に大阪タイガース入団時からスラッガーとして活躍し、当時ジャイアンツのエースだった沢村栄治との名勝負を繰り広げ「東の沢村、西の景浦」と呼ばれるほどだった。

第三章「墓碑に刻まれた「G」の文字 沢村栄治
先程第二章にて沢村栄治が出たので、ここで説明しておく必要がある。今でこそミスター・ジャイアンツは長嶋茂雄氏であるが、それ以前は沢村栄治だった。元々は京都の学校に通い、高校野球の全国大会にも何度も出場した。その後大学に進学する予定だったが、ジャイアンツの創立者であった正力松太郎の説得により、巨人軍に入団した。その後エースとして活躍を見せるも最初の徴兵でケガや病気に悩まされ、棒に振ってしまい、解雇・引退となり、3度目の徴兵でフィリピンに向かう途中に戦死した。その後沢村の背番号14は永久欠番となった。

第四章「ビルマに消えた炎の名捕手 吉原正喜
その沢村とバッテリーを組んだのが、吉原正喜であった。昨年亡くなった打撃の神様・川上哲治とは熊本工業時代の同級生・同クラスであり、高校野球では共にバッテリーを組んだほどの仲だった。卒業後、巨人軍に入団し、エースだった沢村栄治をはじめ、ヴィクトル・スタルヒン中尾輝三らとバッテリーを組んだ。後に大東亜戦争勃発と同時に巨人軍を退団し、インパール作戦の最中戦死した。

第五章「「伝説の大投手」の淡き夢 嶋清一
「伝説の大投手」というと色々と挙げられる。沢村栄治もその一人だが、もう一人嶋清一という投手がいた。なぜ、嶋清一が「伝説の大投手」となり得たのかというと、プロ野球ではなく、高校野球の時、1939年に全5試合完封、そのうち2試合連続でノーヒットノーランを達成した唯一の人物だからである。その後明治大学に進学し活躍をしたが、大東亜戦争により海軍に応召され、後に戦死した。
嶋が記憶に残ったのは投手としての活躍だけでななく、野球マンガ「巨人の星」の一場面にも登場していることも挙げられる。

第六章「朝日軍のエースの行方 林安夫
「朝日軍」は最初「大東京軍」として結成され1941年頃にこの名前となり、後に松竹ロビンズとなって、それが大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に吸収された球団である。その朝日軍のエースに林安夫がいた。入団1年目で防御率がヴィクトル・スタルヒンを上回り、最優秀防御率のタイトルを獲得した。その後エースとしての活躍を見せるものの、大東亜戦争に応召され、フィリピンへ赴いたが戦死されたと言われている。なぜ「言われている」と表現したのかというと、現在に至るまで本当に戦死したかどうか、いつ戦死したのかが未だに分かっていないからである。

第七章「特攻を志願した元プロ野球選手 石丸進一
最後に紹介するのは名古屋軍(現:中日ドラゴンズ)の石丸進一であるが、この方を取り上げた理由は、プロ野球選手で戦死した人物のなかで唯一の神風特別攻撃隊隊員だったことにある。しかも石丸は志願して特攻隊に入隊し、戦地へと消えていった。その特攻隊生活の基地内にてキャッチボールを行ったことも記録されており、小説・映画化されるほどにまでなった。

大東亜戦争・第二次世界大戦が終わって69年の月日が流れる。その戦禍の歴史をはさんで、プロ野球の歴史は今もなお続いているのだが、戦前はまさに黎明期と呼ばれていた。その黎明期の屋台骨を支えたのは、戦地に消えてしまった選手達もいたということを忘れてはならない。そして本書で取り上げられた選手達の記録は東京ドームのそばにある「鎮魂の碑」に刻まれている。

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