途上国化する日本

日本は戦後間もない頃からの経済成長により「先進国」の仲間入りを果たした。しかし1990年代のバブル崩壊により、「失われた10年」ないし「失われた20年」と呼ばれる時代が到来し、経済的にも衰退の一途をたどった。ついにはGDP(国内総生産)も中国に抜かれ、世界第3位に落ち込んだ。それもあってか本書のように日本は先進国から「途上国」に逆戻りしてしまう心配をする論者もいる。その原因の一つとして経済・精神的な「閉塞感」があるのだが、それをいかにして打破すべきか。著者は本書を通じて「グローバル化」を促進する必要があるという。

第一章「途上国化する日本経済」
なぜ日本は「途上国化」しようとしているのか。そのきっかけには2008年1月に太田弘子経済財政政策担当大臣(当時)が「もはや『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と言う言葉である。それから経済は、成長はおろか「二番底」と呼ばれる状況に陥った。その後安倍晋三氏が再び首相になり、「アベノミクス」により経済を持ち直すことはできたのだが、今もなお「途上国化」はとどまるところを知らないという。

第二章「経済が成長するに何が必要か」
日本が「高度経済成長」をもたらした要因は内需もそうだが、それ以上に技術革新による輸出も多くなった、と言うのがある。しかしその経済はいつまでも続くことはなく、衰退していった。しかし政府の経済政策は未だに「内需拡大」を謳っているが、長期的な経済成長はもう望めない。むしろ「グローバル化」がキーワードになると言う。

第三章「企業のグローバル化は経済を成長させる」
著者が主張する「グローバル化」の機軸には「企業」や「産業」が存在する。「グローバル化」と言う言葉というと、海外労働者を日本に呼ぶ、あるいは海外に対しての取引を高める、輸出を強める、というような印象を持つのだが、本書における「企業のグローバル化」は海外で日本のモノを生産する「海外生産委託」や海外への「直接投資」を挙げている。

第四章「グローバル化は産業の空洞化をもたらすか」
しかし、そういうことをやると「産業空洞化」と言う状況に陥ってしまうのではないか、という論者もいる。しかし著者によれば輸出や海外生産委託により、日本の労働力や産業は空洞化することは無いことを証明している。

第五章「グローバル化は世界経済に好循環を呼び込む」
グローバル化によって悪循環に陥るのだろうか、と不安がる論者もいるが、本章ではむしろ日本にとっても、世界にとっても内需・外需双方の拡大をもたらすことができ、世界的にも経済の好循環が起こるメカニズムを紹介しているが、ちょっと疑問がある。
それは「日本の経済が好循環を起こしたとする、その一方で輸出や海外生産委託を行う相手国が経済的な危機に陥り幣束状態になった場合は共倒れにはならないのか」という疑問である。

第六章「鎖国状態にある日本」
日本人が内向きになってしまったのは江戸時代に鎖国をしたことが原因であり、明治時代から海外の技術やノウハウを得るために積極的に海外へ学んでいった。しかし日本の経済が豊かになるにつれ内向きになり、半ば「鎖国」状態に陥ってしまった。そのため本章のタイトルにある「鎖国状態」は現在進行形で進んでいる。

第七章「日本の臥龍企業」
臥龍(がりゅう:横たわった龍)と言う言葉を聞くと、かつて中国大陸が「眠れる獅子」と呼ばれた時代を連想する。なぜ中国大陸が「眠れる獅子」と呼ばれていたのか、その理由は人口の多さにより、本気を出すと欧米列強のような国々も立ち向かえない状態である。しかし今は国家としてバラバラの状態であるため、本来の力を出すことができない状態であることをなぞらえて出た用語である。そう考えると日本における「臥龍」は本来の力を出し切れていないような状況にあるといっても過言ではない。

第八章「臥龍日本が目覚めるための政策提言」
「臥龍」の状態にある日本を目覚めさせるために著者は政治的な提言をいくつか行っている。大きく分けて海外におけるFTA・EPA・TPPなどの経済協定、地方分権、雇用促進などが挙げられている。

かつて、イギリスの「The Economist」の元編集長であるビル・エモットは「日はまた昇る」という本を出版した。しかしそれとは裏腹に、今もなお日はまた沈んだままである。その日をいかにして上らせるのだろうか、本書はその低減の一つを提示しているが、内向きになっている日本を海外に向けさせ、日本国内ではなく、海外と勝負をするということを提示している。