サハラを走る。~7日間245キロ!サバイバルマラソンへの挑戦。

「世界で最も過酷なマラソン」

そう呼ばれているマラソンが存在する。アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠を舞台にして走る「サハラマラソン」である。距離にして245キロ、距離だけで言えば、ギリシャの「鉄人マラソン」と呼ばれ、246キロ走る「スパルタスロン」と、距離は変わらないように見えるのだが、その「過酷」の本質は距離よりも、「砂漠」という環境にある。245キロを7日間走り続けること、その間、灼熱と砂が襲い、それでいて前に進まないことも往々にしてある。そのような状況のなかで心身ともに「極限」と言われるような状況に陥り、とりわけ足に対する負担は計り知れない。

そんなレースを走り抜いた日本人がいる。もっと言うとサハラのみならず、ゴビ・アタカマと砂漠マラソンを完走し、さらには「南極マラソン」をも完走した方が綴っている。

レース1日目「距離31.6キロ」
著者が綴ったマラソンは2008年に行われたものである。全世界801人(内、著者を含めた日本人10人。中には71歳の女性の方もいる)もの参加者がそれぞれの思いを背負って7日間の過酷なマラソンに挑まんとする姿がそこにある。そしてスタートしてからいきなり灼熱とまるで粉のような砂が襲った。選手はそれぞれ7日分の食糧と補給飲料、着替えを背負って走り抜く。背負う重量もかなりのもので、それを背負って走るのだから足への負担も計り知れない。ただしチェックポイントごとに脱水症状対策のための水と塩タブレットが支給される。しかしそれらもレース中自分で運ばなくてはならないし、脱水症状対策のために、タブレットや水を飲むことが推奨されている(義務ではないのだが、そうしないと係に注意されるらしい)。

レース2日目「距離38キロ」
1日目から30キロ超の距離を走ることになるのだが、その道中では何度も山のような大砂丘も存在し、それらも全て登らなくてはならない。時にはマラソンというよりも「登山」と呼ばれるような所もある。
そして2日目は初日よりも距離が長く、それでいて過酷なレースになる。最も走る場所もそうなのだが、初日の疲労を引きずった状態で走るため、走るペースもきつくなる。砂の柔らかい路面から、完走したでこぼこの大地も走る必要があり、負担が大きく変わってくる。それにより走者の足に激しい痛みが生じるという。
2日目終了となると足の皮がはがれるほどになり、中にはその傷が膿んだり、ハエがたかったりする人もいたという。

レース3日目「距離40.5キロ」
1日目・2日目よりもさらに距離の長い3日目は、12時間のなかで走らなくてはならない。中には前日までの疲労・けがを負いながら走る必要があるため、負担は想像を絶する。
しかしそんな状況でもあきらめるわけには行かず、ひたすら走り続ける。走る道中には砂丘もあり、でこぼこの路面もあり、時として心が折れそうな状況になることも少なくない。そのたびにランナー同士、さらには端から観戦している方の励ましにより、力を取り戻す。そして過酷な環境を走り続けることにより「生きる」事の本質を見いだす瞬間もあるのだという。

レース4日目「距離75.5キロ オーバーナイトステージ①」
7日間のレースの中で最も過酷であり、なおかつピークとなるのが中日である4日目である。この日はフルマラソンの2倍近い距離を走ること、さらにはこの日「オーバーナイトステージ」と呼ばれ、夜遅く(深夜1時)まで走るのだという。本章以降4つに分けてそのレースの模様を紹介しているのだが、なぜ4つなのかというと、この4日目のチェックポイントが多く存在するためである。

レース4日目「距離75.5キロ オーバーナイトステージ②」
暑さと風と砂と危険の存在する想像を絶するルートはただ早く走るだけではなく、バランスに細心の注意を払う必要がある。一歩間違ったら本当の意味で「命取り」になる、文字通り「サバイバル」と呼ばれるレースとなる。しかも砂漠で湿度も極端に低い(だいたい10%)ため、肌への負担も大きく、なおかつ走るだけでも水分が奪われてしまう。砂地と峠の連続した区間の中間地点となる第3チェックポイントを到達した時はもう夕方を迎えていたという。

レース4日目「距離75.5キロ オーバーナイトステージ③」
この第3チェックポイントを抜けると、今度は日没までは朝・昼と同じように走ることができるのだが、日没になってからは、未知の戦いが待っている。それは「暗闇と寒さとの戦い」である。当然なのだが、夜は街灯がなく、頼りになるのは蛍光スティックの光なのだが、コースによっては見つけ難いところもあり、なんと言ってもどこに上り坂・下り坂があるのかわからないため、油断をしてしまうと大けがする。蛍光スティックのほかにもヘッドライトも自分で用意することで、自分の目の前の道を知ることができるのだが、それでも目先数メートルほどしかわからない。
暗闇のステージは視界の危険もあるのだが、精神的には「孤独感」との戦いもある。

レース4日目「距離75.5キロ オーバーナイトステージ④」
ナイトステージは視界や孤独感のほかに、朝・昼ではとても体験できない「寒さ」がある。昼間は40度から50度にもなるほどの灼熱地獄なのだが、夜になると10度ほどにまで下がってしまう。その寒さとの戦いもしながら、見えないゴールに向かって突き進む。しかし進めど進めどゴールがなかなか見えず、見つけてもチェックポイントで心が折れそうになる。それでもずっと走り続け、夜遅くにようやくゴールにたどり着いた。

レース5日目「休息日」
7日間の中で唯一の休息日だが、4日間(特に4日目)の疲れをとるために寝転がる人、これまで蓄積した足のけがの治療をするものと、休息日の取り方は様々であった。

レース6日目「距離42.195キロ」
距離にしてわかるのだが、砂漠の中でフルマラソンを行うステージである。そのフルマラソンもレースの峠を越えたこともあり、過酷ではあるものの、短さも感じたという。4日の過酷なレースを乗り越えて、水・食糧なども減ってくることにより、若干軽くなったのだという。

レース7日目(最終日)「距離17.5キロ」
最後のレースは、距離は今までの中でもっとも短いものである。これまでのレースを乗り越えた方々にとって感慨深いレースとなる。それと同時に、この日で本当の「ゴール」を迎えるといううれしさが先行していたのではないだろうか。その感慨に耽りながらゴールテープを切った。55時間走り続けたあとのゴールテープであった。そして著者はサハラマラソンをこう振り返った。

「サハラマラソンは人生を変えるマラソンだ。少なくとも、おれに関して言えば、サハラを走ったことでおれの人生は大きく変わった。サハラはそれまでおれがバックパックを背負って見てきた世界、体験してきた世界とはまったく違っていた。広大な砂漠へのチャレンジは常に自分との闘いだった。自分自身と対話しながら弱い自分を自分自身で奮い立たせながら七日間走り続けるのだから、自己成長するのは必然と言えば必然だ。その後の人生が変わるのも至極、当然なのかもしれない」(p.170より)

本書を手に取った理由は2つあった。一つはいつも購読しているメルマガ発行者がサハラマラソンに挑戦したことについて綴ったこと、そしてもう一つは一昨年、私の知り合いが前者の方に触発され、サハラマラソンに挑んだことを思い出したからである。本書を見て、そのことが脳裏にフラッシュバックし、そのことを思い出しながら読んでみたいと思い手に取った。7日間の挑戦を自分自身の退官したことを頼りに綴っているため、その過酷な状況が文章を通じて生々しく残っている。いかにサハラマラソンが過酷であるのか、そしてそのマラソンを通じて何を得たのか、その答えがぎゅっと詰まった一冊であった。