部活で俳句

俳句と言うと文化人などが行う産物のように見えながらも、今もなお様々な人に親しまれている。もっとも本書で取り上げている高校の部活でも俳句が扱われることがあり、毎年8月には愛媛県松山市にて「俳句甲子園」が行われるが、大会自体は新しく1998年から開催され、来年で20周年を迎えるという。

本書の著者は今でこそ行われておらず、俳句甲子園の審査員を務めている一方で、かつて高校で俳句を指導していた著者が部活で俳句を拵えることの重要性を伝えている。

Ⅰ.「<踊る俳句同好会>誕生」
本書の舞台は有名な野球選手を輩出し、甲子園の春夏連覇を達成したことのある、とある男子校であるが、赴任した著者は俳句同好会をつくったという。

Ⅱ.「俳句は日常だ」
俳句の重要性を伝えると言っても、「俳句は高尚なもの」という認識を改めさせる必要があった。もっとも日常のことを写実的に取り上げることが俳句であることを伝え、生徒たちをどのようにして五・七・五と季語を入れてしたためていくか、その模様を映している。

Ⅲ.「写す俳句 感じる俳句」
俳句は日常から自然、時の流れに至るまで森羅万象のことに気づき、したためていく。他にも有名な句を見たり、写したり、さらには自分なりに解釈したりとすることもまた俳句のセンスを上げるうえで重要であるという。

Ⅳ.「俳句の約束事」
俳句と川柳の違いは五・七・五の決まりがある一方で前者は「季語」を入れる必要があるが、川柳はその限りではない。もっとも季語はどのような言葉なのかというと春夏秋冬をあらわす単語であり、「桜」「雪」といったものが挙げられる。他にも「切れ」や「余り」といったものがあるが、本章ではもっと細かい約束事について取り上げている。

Ⅴ.「「写生」って何だろう」
決して絵の「写生会」のことを言っていない。いわゆる「俳句の作り方を説く」ことそのものであり、俳句とは何か、作り方とは何かを教えることそのものを指している。その「写生」は俳句をしたためていくうえで非常に重要な役割を担っているのだが、その理由について本章にて取り上げている。

俳句は色々なセンスが問われる。だからでこそ奥が深く、なおかつ繊細な日本文化の一つとして挙げられる。多感な高校生の時代に部活として俳句を行うこともまたスポーツとは異なる「青春」である。その青春を本書でもって感じ取ることができる。