私自身女性にモテることはあまり意識していない。その意識していない理由として他のことで頭がいっぱいになってしまうためである。もちろん非モテなのかというとそうかも知れないのだが、最も非モテであることの劣等感があるわけでは無い。
しかし非モテは様々な「悩み」や「弱さ」によって成り立っているのだという。そもそもなぜ「非モテ」が生まれ、そして存在する定義について取り上げているのが本書である。
第一章「男にとって弱さとは何か?」
人間は弱い生き物であるのだが、男性は「弱さ」を表すのとは無縁の世界と主張する論者もいる。しかし男性も男性で「弱さ」があり、女性も女性で「強さ」と「弱さ」があるのだが、その中でも男性特有の弱さがあり、それが社会的にもどのような影響を及ぼすのか、そのことを取り上げている。
第二章「男のルサンチマンについて―非モテの品格?」
「ルサンチマン」は直訳すると「恨み」「怨恨」を表している。もちろん非モテというとモテるような人、いわゆる「リア充」に対する嫉妬が「ルサンチマン」として成り立つのだが、男女関係に夜ものだけでなく、雇用における「ルサンチマン」もあるのだという。一例を挙げると正規・非正規の差が挙げられる。
第三章「男のケアと子育てについて―そして父になる、男になる」
男性に対する心的な傷や疲れはあるのかも知れないのだが、その中でもいかにしていやしていったり、カウンセリングを行っていくのか、そのことについて取り上げている。
非モテはだんだん広がりを見せ始めているのだが、その非モテはかつて見せることの無かった男性の「弱さ」を見せることとなった。もっともその「弱さ」をさらけ出したり、乗り越えたりすることによって強さになるのだが、その強さは本当に表れるのか、それは男性それぞれ考えるべきものなのかも知れない。
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