誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬

「フランダースの犬」は1975年に「カルピスまんが劇場(後の「世界名作劇場」)」にて放映されたアニメとしても有名であるのだが、元は1872年にウィーダがつくった物語である。その物語は少年の悲劇を描いた小説であるのだが、なぜ悲劇となっていったのか、そのことをアメリカと日本の翻訳を通じて論じている。

第1章「悲劇を描いたウィーダの悲劇」
悲劇を描く小説としてはかつてはシェイクスピアの「オセロ」「ハムレット」といったものもあるのだが、ウィーダはなぜ「フランダースの犬」を通じてどのような悲劇に遭ったのか、犬との暮らしと父の死などが挙げられる。

第2章「ハッピーエンドに変えるアメリカ人」
フランダースの犬はアメリカでも翻訳をされているのだが、翻訳ではなく「改変」と言う形を取っている。もっとも悲劇の作品を忌避する翻訳先の出版社の意向でハッピーエンドに書き換えていた。しかしアメリカでの翻訳作品・映画も出たのだが、かならずしも成功したとは言いがたく、何と言っても原作の本意なく、書き換えられている部分もあってか本来のフランダースの犬とは言いがたい作品だったという。

第3章「アニメに涙する日本人」
冒頭にあるように1975年に包装されたアニメであるのだが、こちらもまた原作とはいくつかの相違点があるという。年齢などやシーンなど細かいところで改変されており、なおかつ当時のメインスポンサーの意向も含められていた。しかしながら本作品の影響はかなり大きく、これまで「フランダースの犬」は評価されなかったものが評価されるようになったきっかけにもなったという。

第4章「ネロとパトラッシュはどこにいる?―プロダクトとしての『フランダースの犬』」
フランダースの犬の舞台となった所を追跡しながら、フランダースの犬は何故つくられたのか、作品に登場するキャラクターのモデルは誰にあたるのかに至るまでを取り上げている。

第5章「悲しい結末を愛する日本人―パッチワークとしての『フランダースの犬』」
フランダースの犬は悲劇なのだが、改変がありながらも悲劇のようにしたのも日本ならではである。もっともフランダースの犬に限らず小説の悲劇の舞台・ドラマ・アニメ化にするにしても必ず悲劇的結末は残す傾向が強い。なぜ日本は悲劇的結末を愛するのかを分析している。

フランダースの犬は悲劇であるのだが、かつてはそれほどの人気はなかった。しかし日本にてテレビアニメが放映されたことから、海外からの認知も高まり、ウィーダが生み出した作品の中で最も有名なものとなった。その有名となった作品はなぜそのような悲劇となったのか、それを知ることができるきっかけとなる一冊である。