競輪という世界

毎年年末に「KEIRINグランプリ」が開催され、地上波でも日本テレビ系列にて放送される。この競輪が地上波でレース放送されるのは日テレ系列では先述のグランプリ、他局では「オールスター競輪」や「高松宮記念杯競輪」などのビッグレースくらいである。

もっとも競輪とはどのような競技なのか、という方も当ブログをご覧になっている方の中にはわからない方もいるかもしれない。そこで本書である。本書は競輪はどのようにして生まれ、どのような仕事なのか。また競輪の世界はどのような「変化」が起こっているのかを取り上げている。

第1章「競輪とはなにか」

競輪とは何かという所から始まる。そもそも競輪は、「バンク」と呼ばれる競走路を使って、レースを行う競技であり、公営ギャンブルの一つとして扱われている。先述のように限られたレースであれば地上波で放送されるが、ほとんどのレースはSPEEDチャンネルといった競輪専門チャンネルにて放送される。

もっとも競輪選手や競輪そのもののレースには厳しいルールが設けられており、その設けられたルールを守りつつ、選手はせめぎ合いのレースを、観客たちはその姿を堪能する。

第2章「競輪選手という仕事」

競輪選手は基本的に自営業、つまりは個人事業主として活動している。しかも競輪選手になるためには技能試験などの試験に合格しなければならない。また合格後は養成所に入所し、約10ヶ月の間訓練を受け、国家試験で合格して初めて競輪選手になれる。そしてプロになってからは激しい競争の毎日を送る。

第3章「スーパースター&レジェンド列伝」

競輪の世界は激しい競争の中にある。その中でスーパースターや、多くの結果を残し「レジェンド」にまでなった選手もいる。もちろん本章には例外なく「世界のナカノ」こと、中野浩一もいる。

第4章「ケイリン、世界に羽ばたく」

中野浩一は初代KEIRINグランプリの覇者でもあるが、それ以上に有名にしたのが世界自転車選手権の「プロ・スプリント(かつては「プロ・スクラッチ」とも呼ばれた)」10連覇がある。本章では世界自転車選手権で輝いた選手について中野浩一のエピソードも交えて取り上げている。

第5章「競輪ことはじめ」

日本における競輪の歴史は意外と浅い。大東亜戦争が終焉して間もない時から始まったのである。このときは地方での競輪が中心だった。特に潤ったのが九州での小倉競輪であった。競輪自体は元々地方によって育った経緯からか様々な「ローカルルール」が儲けられ、ルール自体も不透明だったこと、理解が難しいことに対しての暴動事件もあった。また賭博として扱って良いかどうかについても当時の国会にて議論に挙げられていたほどである。

第6章「地方と競輪」

地方の競輪から生まれたものだが、当時は賭博としての風当たりもかなり強かった。それ故か、地方の競輪場が次々と休止・廃止に追い込まれるようにまでなった。とはいえ全部が全部休止・廃止になったわけではない。場所によってはGⅠなどのビッグレースも行われる競輪場が地方に存在している。

第7章「変わりゆく競輪」

競輪というと男子占有の競技かというと実はそうではなくなった。2012年からガールズケイリンができ、女子競技も出てくるようになった。実はこれは初めてではなく、戦後間もない1949年にも「女子競輪」としてあったが1964年に廃止された経緯があった。それから48年ぶりに復活して話題となり、現在も行われている。

第8章「競輪と補助事業」

競輪には「補助事業」が存在しており、主に公共事業への出資なども行われている。よく病院の検診車があるのだが、そこに競輪の絵が描かれていることもしばしば見かける。これも補助事業の一つである社会福祉事業の一環として提供しているものである。

競輪は戦後間もない時から始まり、多くのスターやレジェンドを生み出した。と同時にスリルある賭け事として多くのファンによって愛されてきた。その一方で戦後間もない時から「公営」であるが故に、政治的なことにもさらされてきた経緯がある。その歴史を知ることのできる一冊であった。

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