バカにならない読書術

書店では読書術の本が溢れ返っているが、今回はちょっと異端の読書術を紹介する。本書は「バカの壁」で有名な養老孟司氏自身の読書術を伝授するとともに、養老氏に加え、池田清彦氏、吉岡忍氏とともに様々なテーマに沿ったお勧めの本を紹介している。

第一部「「養老流」本の読み方」
ここでは養老流読書論について説明している。養老氏の人生とともにどのような読書を行っているのかというのが非常に興味深く書かれていた。

第一章「「読み聞かせ」と子どもの脳」
「読み聞かせ」というと、子供の時に親に絵本を読んでもらったという記憶がある。それだけではなく絵本を声出して読んだりもしたことを思い出す。最近では「音読」と言ったものが注目を集め、記憶力や脳活性にいいということを聞くが果たして本当にいいのかと疑いたくなる。養老氏はこれについては読み聞かせをするから脳にいいというわけではないという。それ以上に子供とっていいのは体育。木登りをしたりデコボコ道を走ったり…。一見教育ではないのかと勘繰りたくもなるが、確かにその通りかもしれない。そして気になったのが陽明学で「知行合一」という言葉があり、これを実行した大塩平八郎と三島由紀夫を批判しているところである。「知行合一」は「知ったことを行動に移すことによってはじめて身につく」とされているが、養老氏はこれは間違いで。

「知行は循環する」

と主張する。つまり知ることによって人は行動が変わるという意味合いになる。知ったことによって意図的に行動を起こすのか、知ったことによりまるで世界が変わったように無意識に行動できるのかでは意味合いが違う。こういった解釈の方法ができるとはとも思った。

第二章「「読書脳」のしくみ」
日本語ほど語彙や文字の種類が多い言語はない。当然外国人もそれを覚えるのには必死であるという非常に複雑な言語としては日本語のほかに並べられる言語はないだろう。さらに視覚的にも楽しめるのも日本語独特である。養老氏の言う「日本語は漫画言語である」というのもまさにそれであろう。マンガのように視覚的に言語を覚えていくことを考えると日本人の漫画に対する感受性というのは非常に高い。それが画のセンスと直結することにより(画の)質の高い漫画が続々と生まれたのではないかと推測する。養老氏が漫画がいい理由は「アメリカのコミックは面白くないから(p.45より)」だという。これについては果たしてそうかなと疑ってしまうが、恥ずかしいことに私自身アメリカのコミックを見たことがないので、見てから意見を言おうと思っている。

第三章「「唯我独尊」としての読書」
「読書は著者との対話」と言われることがある。著者の主張をどこまで取り込みそのうえで意見をするということも読書の一つである。私自身は読書から入ったが、読書を続けるにつれ何を読んだのかを忘れがちになってきた。それを食い止めさらにもっと本を深く読もうという思いから書評を始めた。これを続けて1年5カ月になるが、そのおかげで縁も増え、興味も増え、出費も増えた。養老氏の体験によると飢餓状態であればあるほど、一人ひとりが違うと認識していればいるほど本を読むという。そう考えると流行語大賞を辞退した福田前首相は辞任会見の時に「あなたとは違うんです」と言ったそうだが、今の考えだと福田前首相は読書家であると推測できる。読書家であるから中途半端な答弁しかできなくなるっていうような自分にとって嫌な論考になってしまう。

第四章「「バカの壁」越える読書」
まず出てくるのがデカルトの「方法序説」である。私自身も読みたい1冊である。図書館でいったん借りて読んだがなかなか奥深いものであった。今度は購入して読みたいものである。それは置いといて読書というと何か目標を読んで読む人もいれば、私のように活字の海をスキューバダイビングするように読む人だっている。著者はデカルトを通じて人生のすべてをかけて読んでいるという。

第二部
養老氏、池田氏、吉岡氏の御三方の鼎談であり様々なテーマ毎におすすめの本を紹介している。小説や専門書、はたまたは写真集から、マンガに至るまで網羅している。ところどころで有名人への皮肉を言っているところがなかなか面白かった。