台湾ナショナリズム 東アジア近代のアポリア

台湾と日本は切っても切れない関係である。1894年、日清戦争により台湾が日本に割譲されてからというもの、「四害」の一つと言われるほど腐敗していた島を、先進国並に発展させた。しかし戦後、台湾は国民党独裁政治、厳密にいったら(しょうかいせき)独裁政治となった(史上最長の「戒厳令」が続いたのもこの時期である)。それを経て、李登輝が総統(台湾政治とトップに位置する)になったとき、民主化に向けて大きく動いた。

台湾ほど中国大陸と日本に大きな影響を受けた国はない。親日もあれば、国民党独裁時代に受けた教育により反日担っている人もいる。親日と反日の狭間にある台湾のナショナリズムはいったい何なのか、そして大陸と統一するべきか、それとも「台湾国」として独立すべきなのか、本書はその狭間を読みとくことと、「台湾問題」の本質を歴史とともに見ていこうという一冊である。

第一章「日本が見た台湾」
台湾問題について私が関心を持ったきっかけが漫画家の小林よしのりの「ゴーマニズム宣言 台湾論」を読んだところにある。それまで台湾の歴史すら知らなかった私に台湾のことについていろいろと教えられ、さらに後に尊敬する人物となる李登輝氏を知ったのもこの本である。しかしこの本は台湾で論議を呼び、小林よしのり氏が台湾への入国が禁止されてしまったほどである(1ヶ月足らずで解除)。
最初に書いたように日本は台湾と大きな縁があり、日清戦争後に台湾が日本に割譲された時からである。「四害」の一つとされてきた島が急速な近代化となった。その一方で「霧社事件」という影を落としている。台湾の原住民の一つである「タイヤル族」が日本人の学校を襲撃したことから始まる。その後、日本軍や警察が鎮圧に当たったが、日本人約140人、タイヤル族など約700人が死亡・自殺した。当時日本は原住民族を軽視してきたが、この事件を機に原住民たちへ野抜本的な改革を行ったと言われている。

第二章「大陸中国が見た台湾」
中国大陸が「中華民国」を建国した孫文、国民党を長らく支えてきた蒋介石はともにある共通点がある。それは両者とも日本に関わっており、孫文は一回目の革命に失敗した時、日本に亡命しており、玄洋社の頭山満の支援で中国に戻り、辛亥革命を起こし、中華民国を建国した。
蒋介石は軍事のためにいったん日本に留学をしたが、その後孫文と合流、革命を起こしたが失敗し孫文と同じく日本に亡命した。孫文と同じように頭山満の支援を受けた一人である。
現在の中国は毛沢東率いる中国共産党によって建国されたが、その前の「中華民国」が建国したのは日本との関係は深かった。と同時に戦後50年以上にもわたって支配し続けた国民党も日本と縁が深いことがわかる。

第三章「東アジア冷戦/ポスト冷戦が見た台湾」
第二次世界大戦が終わって、朝鮮戦争が始まった時に「冷戦」が始まった。およそ50年という長きにわたり、かつ世界大戦のように武器で激しくやり合うような戦争では無いものだった。厳密に言うと核実験を行い、軍事力を拡大し、誇示すると言うのが狙いであった。
ちょうどその頃、台湾では国民党支配が続いた時代であった。国民党支配が始まった時は台湾人は蜂起し、国民党支配から脱却しようとしたが、鎮圧により大虐殺され、国民党支配はさらに強固なモノとなり、同時期に「戒厳令」が発令された。1947年のことである。

第四章「東アジア近代が見た台湾」
戒厳令が解除されたのは1987年、約39年にもわたった。1988年に李登輝が総統に就任、様々な改革が行われ、国民党支配の時代から民主主義政治へと変貌を遂げた。2000年には初めて政権交代が行われ、民主主義への息吹が活発化してきたが、2008年の総統選挙で再び国民党が政権を握ることになった。しかし、馬政権では災害時の不手際などで支持率が低下し、現在台湾は中国からの独立か、中国との強調かで世論は二つに分かれている。

台湾の歴史は最初に述べた「台湾論」をきっかけにいくつか学んだことがある。台湾は日本と物質的にも精神的にも距離が最も近い国である一方で、第四章に述べたように中国との協調か台湾の独立か、親日か反日かで真っ二つになってしまっている。日本として台湾に対してどのように接していけばいいか、考えなければならない時がきたのかもしれない。