主審告白

2010年6月、日本はワールドカップ一色であった。開催されるまでは批判の対象になっていたのだが、いざワールドカップとなるとまるで掌を返したように、絶賛一色となってしまった。それだけ日本代表の活躍はめざましかったと言うべきであろう。最近ではなでしこジャパンがW杯に優勝していることからサッカーはこれまで以上に、盛り上がりを見せるだろう。

そして今回のワールドカップでは日本代表以外にスポットライトを浴びた人物がいる。日本人審判としてW杯の試合を裁いてきた西村雄一の存在も忘れてはならない。

さて、本書はワールドカップではないものの、サッカーの聖地と称されるウェンブリー・スタジアムで日本人初の主審を務めた家永政明の自伝である。

第1章「挫折と成長/支えてくれた人」
家本氏は大学を卒業後、京都サンガの職員として働き、そこから審判のライセンスを得て審判となったのだが、家本氏の審判人生は順風満帆に続くわけではなかった。むしろ「波乱万丈」という言葉の方が適当なのかもしれない。
2008年のゼロックススーパーカップの決勝で警告11枚、退場3人を出すという荒れた試合となってしまった。その事態を受け日本サッカー協会は無期限の主審割り当ての除外を言い渡した。
どん底に落ちてしまった家本氏であるが、それを救ってくれたのは恩師であり、ファンであり、周りの選手であったのだという。

第2章「自らのスタイルを確立する」
「嫌われたレフェリー」というレッテルを貼られても、ファンや選手から「バリゾウゴン」に逢ってもレフェリーを続けた。むしろ自分のスタイルを磨き続けていった。
中でも重視していたのは「コミュニケーション」であったのだという。これは海外の審判では重用しされているのだが、日本ではあまり採用されておらず、むしろそれを行おうとすると選手やファンから賛否両論の声が相次いだ。それでも自分のスタイルとして磨き続けていった。

第3章「日本における審判の立場」
審判とはどのような存在か。これはサッカーのみならず野球、プロレスなど様々なスポーツの場で議論の対象となる。本章では自らのレフェリー観をJリーグのみならず、海外の試合での体験を基に展開している。

第4章「ウェンブリーでの体験」
2010年5月、サッカーの聖地であるイギリス・ウェンブリースタジアムにて審判を務めた。イングランド対メキシコという親善試合であったが、その体験を綴っている。

本書を読んで家本氏はこう呼ばれる存在かもしれない。
「反骨のジャッジマン」
決して審判やプレイヤーに媚びず、あくまでルールや両選手の対話でもって平等に審判ができる環境をつくる。しかしそのことによって時には痛烈なバッシングを受けたり、賛否両論を巻き起こしたりするが、それをもめげず自分の信念をもって厳正な審判を貫いている。本人がそれについてどう思っているかはわからないが、少なくとも私は本書をよんでこう思ったのである。