梅棹忠夫 語る

昨年の7月に民俗学者であり、「知的生産の技術」の著者である梅棹忠夫氏が逝去された。ちょうどその半年前に、「知的生産の技術」刊行40周年を記念して、知的生産に関する本である、「地の現場」刊行記念のパーティーがあり、私もそれに参加をしていた。それが発展することを願った矢先の訃報である。梅棹氏が遺していったものは何なのか、遺したかったものは何なのか、本書は対談形式にて語っている。

第一章「君、それ自分で確かめたか?」
民俗学の研究では文献を使うことがそれほど多くない。むしろ自らの足で現地に赴いてそこでのフィールドワークで情報収集を行い、論文を書き上げることが主となる。
著者のゼミや研究講義では学生などの意見に対して最初に必ず本章のタイトルにある質問を投げかける。

第二章「文章は誰が読んでもわかるように書く」
自ら見たもの、知ったものを論文にしていくのだが、それも、文章の中に文章を入れる、言わば「複文」を決して使わない、ゼミ生にも使わせない。
常に分かりやすいことを心がけながら数多くの論文を発表していった。

第三章「メモ/スケッチと写真を使い分ける」
梅棹氏は自分でみたものについて、メモや写真のみならず「スケッチ」も使用する。もっとも自分にとって「分かりやすい」ように、かつ自分でみたものを忠実に再現するために使うのだという。

第四章「情報は分類せずに配列せよ」
「知的生産の技術」の本領と言うべきところである。自ら収集した情報をどのように整理をしたのか、自らの体験を元に「分類」ではなく「配列」をするように形成することとなった。

第五章「空想こそ学問の原点」
学問ではあまり聞きなれないのが「空想」である。文献や見たものを重ねに重ねて一つの主張や仮説、結論ができあがる。
しかし梅棹氏は空想こそ最大の思索であると主張している。

第六章「学問とは最高の道楽である」
梅棹氏の説く「学問」とは何か。それは「道楽」であるという。学問をまねぶ(学ぶ+真似る)ことで血肉と化し、フィールドワークを通じて様々な刺激を得ることができることから「遊び」と定義づけたのかもしれない。

第七章「知識人のマナー」
梅棹氏は一時期、マスコミに露出し、大いに話題となった。おそらく梅棹氏こそ「知識人」の礎を築いたと言っても過言ではない。「知識人」の草分け的存在である梅棹氏が現在の「知識人」について嘆いている。

第八章「できない人間ほど権威をかざす」
「○○の権威」という言葉をよく目にしたり聞いたりする事がある。とりわけ梅棹氏の嫌う「インテリ層」にその「権威」を振りかざす人が多いのだという。

第九章「生きることは挫折の連続である」
梅棹氏は民俗学、さらには「知的生産」の第一人者となったが、そうなったプロセスの中で落第や肺疾患、失明などの挫折を何度も経験してきた。しかしその挫折を克服しながら知的生産や民俗学の研鑽を続け現在の地位にまで上り詰めた。

梅棹氏ほど研究に関して活発に「思索と実践」をし続けた人はいない。ましてや現代の研究者と比べてもいない程である。梅棹氏の逝去は民俗学界にとっても、知的生産の世界にとっても大きなマイナスとなった。しかし梅棹氏が亡くなっても「知的生産の技術」は遺る。梅棹氏がたどってきた道を辿りつつ、さらなる発展をすることこそ、私たちに課せられた使命と言えよう。