慶応義塾大学の創設者である福沢諭吉は教育者でもあり、思想家として近代日本の基礎を作り上げた人物の一人である。とりわけ「学問のすすめ」や「福翁自伝」は100年経った現在でも名著として広く語り継がれている。
その一方で福沢諭吉は「文民」として「官」との闘いを繰り広げた人物でもある。本書は福沢諭吉の生い立ちとともに、「官」との闘いの顛末について綴っている。
第一章「政治思想」
ここでは福沢の生い立ちから、なぜ「官」との闘いを起こしたのかを考察している。役人の子として生まれた福沢は医学や生物学、蘭学などの学問を研鑽し、「理論家」となり、慶応義塾大学の基盤を構築した。その一方で地方自治の重要性を説いて回ったが、折しも西南戦争が起こった時、福沢の理論の矛先は地方から国会へと変わっていった。
第二章「「官」との軋轢」
「官」との軋轢を深めた理由、それは私学の設立であった。元々学校は国や地方などの「官」による運営だったが、福沢はこれを良しとせず、私学の奨励を唱えた。しかし「官」も負けてはいない。師範学校の校長や教頭になれない。徴兵兵役などの制定により圧力をかけた。
第三章「「官」の包囲網」
それでも「官」による圧力は緩めなかった。制度による圧力だけではなく、スパイなど福沢の周りからの包囲網もかけられていった。しかし福沢も「官」や政府に対する情報収集を行いつつ、批判を展開していった。情報収集や批判の応酬状態となったが明治34年2月に没した。
第四章「「官」の評価」
没後、福沢に対して「官」はどのように評価されたのか。生前は一貫して「官」に就かず、叙勲や爵位などを受けることはなかった。没後も叙勲の話は持ち上がったが、結局叙勲の追贈を受けることもなかった。本章ではそのいきさつについても述べられている。
第五章「復権」
福沢の没後も「官」の圧力によって、福沢の理論が肯定的に論じられることは無かった。しかし大東亜戦争後、GHQの管理下に置かれ、初めて福沢の理論が肯定的に論じられることとなった。事実上の「復権」となり現在では福沢の著書が政治のみならず、ビジネスの場でも愛されている。
福沢の理論は今でもよく知られているが、知られざる歴史は理論ほど知られていない。ましてや「官」との闘いについてはなおさらである。本書は福沢諭吉についてもっと知りたい人、もしくは福沢諭吉の生涯についてもっと知りたい人にとっては格好の一冊と言える。
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