無縁社会の正体―血縁・地縁・社縁はいかに崩壊したか

昨年取り上げた「無縁社会~“無縁死”三万二千人の衝撃」は現在進行形で起こっている社会問題の一つであり、かつ日本人の現状そのものを映し出している。

たしか「光に向かって~3.11で感じた神道のこころ」という本で仙台のある神主が震災後初めて東京に着たときに「心の被災地」となぞらえて衝撃を受けた話を思い出す。「無縁社会」はまさにこのことを言っているのかもしれない。

本書もまた「無縁社会」について書かれているが、「血」や「地」「会社」などの「縁」の崩壊がいかにして起こったのかを分析している。

第1章「高齢単身者の激増という悲劇」
東大名誉教授の上野千鶴子氏が「おひとりさま」ということばをつくり出してから。「おひとりさま」を実行する方々が増えていったという。
それだけではない。高齢者ばかりではなく、若年・中高年でも「単身者」が多く、第2章でも述べるが未婚者も増加していることも原因の一つとして挙げられる。

第2章「家族をつくろうとしない人々」
戦後間もないとき、そして高度経済成長期真っ只中の時に、2度にわたってベビーブームが起こった。それも完全に「過去の遺産」となり風化してしまった。
「草食系男子」もしくは「絶食系男子」も出てきているだけではなく、「肉食系女子」も出ており、それがミスマッチとなり、かつ貧困化という多重苦により、未婚化に拍車をかけている。

第3章「有縁社会だった日本」
最初に紹介した本の中には、孤独死した人の親族が発見しても、引き取ることを拒否したところもいくつかあったのだという。その孤独死した人々は火葬され、無縁仏に入れられる。孤独死の無縁仏の話ばかりではない。
町内会との地元との縁、さらには社員同士の縁も少なくなってきているという。前者は自分自身も感じており、後者に関しても周りでそういった人もいる。

第4章「低下する家族の絆」
私の故郷は北海道であるため、親とは離ればなれである。しかし時々携帯メールで連絡しており、宅急便で名産品が送られてくる。その度故郷のこと、親のことを思いながら食す。
私事はさておき、本章では子育ての苦悩や離婚率の増加により「家族」という概念が希薄化した要因について分析をしているが、第2章のものと関連性があるのかもしれない。

第5章「無縁社会に期待される政策はあるか」
「無縁社会」の問題はもはや政治的な問題ではない。むしろ解決に向ける糸口の多くは私たち国民そのものにある。
本章では地域や企業、さらにNPOに向けた政策を提言しているが、それ以上に国民それぞれが「縁」の大切さを気づくことが「無縁社会」を脱する第一歩と言える。

「無縁社会」そのものは大震災以前に深刻な問題となった。しかしその大震災の時に多くの命が失われたが、同時に「無縁社会」として解決の一歩と言える「縁」の気づきがあった。

そう「絆」である。

「無縁社会」そのものは解決に至っていないが、昨年の出来事によって、「縁」や「絆」は確実に私たちは気づきつつある。「無縁」という闇に一筋の光は見えているのかもしれない。