世界を変えたソーシャルメディア革命の落とし穴

「ソーシャルメディア」とは世界中で影響を与えた。それはビジネスや経済のみならず、政治においても「革命運動」の一つとして使われるようになった。

もはや「一技術」としての「ソーシャルネットワーク」は一大「メディア」となり、前述の通り「すべて」が変わった。

しかし、その「ソーシャルメディア」の革命にはある「罠」があるのだという。本書ではソーシャルメディアの「現状」と、その中に潜む「罠」と「代償」、そしてそれを回避するための処方箋を提示している。

第1章「すごい時代がやってきた?」
今となっては誰もが想像していないほど「ずごい時代」と言えるかもしれない。これまで庶民では手に入れられることができなかったPCやインターネットが使えるようになったのだから。
そのインターネットも年々使い勝手から用途が広がり、文字通り「何でも」できるようになった。そのインターネットで疑似的な体験をする事もでき、リアルの体験もインターネットのバーチャルな空間で体験することができる。

第2章「あなたの視界に潜む落とし穴」
インターネットは様々な欲求を達成することができる。とりわけ辞書的な役割を担うことも可能になった。
しかし「無知の知」という言葉があるように、インターネットには自分の視野を狭くするようなことをもたらしてしまう。

第3章「「利用の代償」という落とし穴」
ブログやソーシャルネットワークを利用することは、自分の考えや意見を衆目に晒すことにある。言葉によっては「炎上」と呼ばれるようにコメント荒らしが起こることもあれば、誰にも振り向いてくれない、いわゆる「スルー」と言われる事象が起こる。
私も以前、時事的な内容で書いたことが炎上したことがあった。それに対処するのが大変になる。
しかしそのネガティブな印象を持つ「炎上」もそれに乗じれば「メリット」になるのだという。

第4章「格差という落とし穴」
著者はソーシャルメディア・プロデューサーとしてアメリカで活動したが、本書をつくるべく、日本におけるソーシャルメディアの現実を得るために戻ってきた。それから1年、アメリカで知ることのできない日本のことを知ることができた。その中で特に関心を引いたのが「格差」の喧伝である。
それだけではなく、東日本大震災から出た「絆」、そして日本産ソーシャルメディアの陰りについても目の当たりにした。

第5章「人間関係という落とし穴」
ソーシャルメディアの発展により人間関係そのものも可視化され、量によって測られるようにもなった。しかしそれが本当の「人間関係」なのだろうか。Facebookにおける「いいね」やTwitterにおける「リツイート」や「お気に入り」など簡単にできることの意味と罠について取り上げている

第6章「一番身近で最強の敵としての自分」
もっともブログなどのソーシャルメディアは自己顕示欲を際限なく高めさせるツールである。しかしやり方によっては「自己満足」に終わってしまうことにもなってしまう。その自己満足に囚われてしまい、それに自惚れ、フリーランスになり、それが空虚なものと知るやこれまでかけた時間は無駄なものとなってしまう。
そうしないためにどうしたらよいのか、テクニック論や心構えを提示している。

本書を読んで決して他人事ではなく「自分事」であるように思えてならない。自分自身もブログをはじめTwitterやFacebook、mixiなどのソーシャルメディアを使用しており、そこでのつながりもある。しかしそのつながりはどうあるべきか、そして自分自身ソーシャルメディアで何をしたいのか考えさせられる。自分自身のソーシャルメディア観を変えるだけではなく、役割そのものを見直す良い機会となった一冊である。私だけではなく、私のようなソーシャルメディアユーザーも一度は読み通しておくと良い。自分自身を見直す良い機会である。