今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈1〉人間として

あの3.11の震災から2年を迎える。
過去にも現在にもこれほど大きな地震に遭遇したのはなく、今でも昨日の事のように覚えている。あれから2年東北では紆余曲折を経ながら復興に向けて着々と進んでいる。その一方で、当方から遠く離れて住む私たちは「今、私たちにできること」を問われ続けている。といっても過言ではない。
本書は震災の中心にいた東北大学が震災からその記憶を新たなる「知」としての提言を行うための一冊であり、その一つ目として「人間」について取り上げられている。

第Ⅰ部「歴史から」
「歴史」は東北の歴史、とイメージする人も多いかもしれないが、ここでは「死」「三陸半島」、そして「縁」の歴史を古典や地理の歴史とともに追っている。
「死」は地震や津波、あるいは二次災害などで亡くなった方々、逆に残った方々に向けて「生きる」ことと、「死ぬ」ことの宿命と理を説いている。
「三陸半島」は宮城の海浜のフィールドワークをもとに、三陸半島の宗教史を中心に紐解いている。
「縁」は簡単に言えば「絆」のことであり、2011年を代表する漢字に選ばれる程である。この「縁」を「御伽草子」から「ものくさ太郎」を取り上げながら、その「縁」の原点について追っている。
「歴史」と「震災」というと、過去に起こった地震のことを取り上げることかというイメージもあるのだが、地震から学ぶことよりも、地震とは無関係の所からどのように地震からいかにして立ち直るのか、というヒントが込められている考えから「死」「三陸半島」「縁」を取り上げられたのかもしれない。

第Ⅱ部「現場に立って」
大学関係者の多くは震災の被害を目の当たりにしてきた。その震災の現場にたち、学問における「理論」を越えた「提言」を行うことこそ、東北大学出版会として、大学関係者としての「今、私(たち)にできること」を表しているのかもしれない。
ここでは現場に立ち、震災について「語る」ということ、「つながる」ということ、そして
「体験したこと」「感じたこと」「考えたこと」をありのままに綴っている。
考察を行っているよりもむしろ「ありのまま」を映し出しており、大学とはなにか、震災において大学の立場とは何か、という悩みを吐露している印象もあった。

第Ⅲ部「根源へ」
日本人はアメリカやヨーロッパ各国など他国と比べても宗教観は薄いように思えてならない。それは新興宗教によるものなのか、それとも自分自身の生活のなかに「宗教」が根付いているのか不明であるが、日本人は宗教に対して無関心、もしくは嫌悪感があるとよく言われる。
しかし心のボランティアとして仏教やキリスト教、神道など宗教関係者が被災地に赴き、復興を支援したこともある。
ここでは「根源」と題されているが、宗教や民俗学の観点から「生死」と「精神」、「心」について紐解いている。

人間としての考え方、人間としての生き方、その姿は宗教や学問を超越して、ありのままを映し出した、とこの震災を通じて体験し、気づき、考えたのかもしれない。その体験・気づき・考えは宗教や民俗学・歴史学の観点からどのように当てはまるのか、「「理論」と「実践」」とよく聞くが、それよりも「「理論」と「実体験」」と言う言葉がよく当てはまった印象が強いように思える一冊である。