混迷するシリア――歴史と政治構造から読み解く

現在シリアでは紛争が泥沼化している状況にある。国連も非難決議や各国では経済制裁などを行っている。にも関わらず、シリアの状況に光明が見えておらず、実質的な混迷が続いている。難民もでてきており、それに対する支援もNPO・NGO問わず広がりを見せているが、具体的な活躍はニュースを始め情報として伝わっていないのが現状である。

本書は「アラブの春」から始まり、シリア騒乱、そしてアサド政権体制のこれまでとこれからについて分析を行っている。

第1章「バッシャール・アサド政権は「独裁体制」か?」
日本では「パッシャール・アサド」、もしくは「アサド政権」と呼ばれるシリアの大統領であるが、元々は父から受け継がれたものである。その父は「ハーフェズ・アサド」と呼ばれ、1970年から約30年もの間政権を維持してきた。一般的に後者の方が独裁者として呼ばれることが多いのだが、「蛙の子は蛙」という諺から、息子の「パッシャール・アサド」も独裁者ではないか、という意見の遠因になっているのかもしれない。

第2章「東アラブの覇者」
東アラブというと、本書で紹介されているシリアだけではなく、レバノンやイスラエルと言った国々も含まれている。それらの国々を見てみると、内乱や紛争が起こっている地域が多く、危ない国々が集まっている印象が強い。しかしそれを考えてしまうとソマリアをはじめとした東アフリカ諸国も同じ事が言える。

第3章「反体制勢力の「モザイク」」
「アラブの春」の勃発以降、シリアでも騒乱が続いている。その背景にはパッシャール・アサド体制の支持・不支持の対立が存在している。
その中でも、反体制勢力はいったいどのような組織があり、それは国の政治組織として公認されているか否か、さらには規模の違いなど様々あるという。

第4章「「アラブの春」の波及」
「アラブの春」を発端とした改革運動は止まるところを知らず、エジプトから中東諸国、そしてシリアにも波及した。シリアに波及した時期はアラブ諸国の中でも最も遅く2011年6月だった。
波及は遅かったこと、そして政権が折れずに強硬な態度をとり続けてきた結果、2年経とうとしても解決の糸口すら見えてこない。

第5章「「革命」の変容」
長期化の要因の一つとして、一度革命を起こしたのだが、8月の「血のラマダーン」による大弾圧により、失敗を遂げてしまったことが挙げられる。その失敗により複数ある反体制勢力がバラバラになり、目指すべきものが見えなくなってしまったこともある。
さらに革命と弾圧の繰り返しの中、この件が国際問題へと発展していった。国連でも制裁や非難決議を進めていった。しかし中国・ロシアなど国々の思惑の対立もあり、国際的な解決が進まない状況となってしまった。それでも国単位で経済制裁などを推し進めていったが、そのしわ寄せは「市民」に来ていた。

今日でもニュースでシリアについて聞かない日はない。化学兵器もあれば反体制勢力のことについても取り上げられている。しかもその騒乱はシリア国内のみならず、レバノンが政局混乱という状態に陥っていることから、周辺諸国からも騒乱の煽りを受けている状況にある。事態の収拾はいつになるのだろうか、その道筋は見えていない。

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