エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う

東日本大震災以降、原発に対するバッシング、さらに脱原発の声が高まっている。政府も長期的に「脱原発」を行うことを明言したのだが、原発に代わるエネルギーをどうするのか、という論争が続いている。方や火力発電を、方や太陽光をはじめとした自然エネルギーの推進なのかというのが焦点であるのが、そもそもその議論には「盲点」があり、不毛なものになっていると著者は主張する。

エネルギー問題をいかにして解決していくか、そして論争を越えて二一世紀のエネルギーとは何なのか本書はそれらについて解き明かしている。

第一章「エネルギー問題がなぜ重要なのか」
そもそも「エネルギー問題」が重要視されるのは、一つは人命を守るための重要なインフラであること、もう一つは経済を活発化するインフラであることにある。
人間の歴史は、「文明の歴史」そのものであり、様々な産業が生まれ、革新していった。電力などのエネルギーはその革新のなかで生まれた。

第二章「技術革新の陰に化石燃料あり」
産業や技術革新の陰には「化石燃料」があったのだという。古くは「石炭」、やがて時代は変わり「原油」、そして「天然ガス」など地層に眠るエネルギー源を使ってきた。最近では「シェールガス」と呼ばれるガスが話題となっているのだが、これもまた天然ガスの一種であり、化石燃料の一種でもある。

第三章「虚飾にまみれたエネルギー論争」
本書の核心に入ってくる。
そもそもエネルギー論争には大きな抜け穴が存在する。まずは「石油はもうすぐ枯渇する」という意見がある。確か「あと40年」やら「あと50年」やら主張し、石油は不足していると語る。これは今に始まったことではなく、20世紀初頭でも同じ用な主張があった。
また、化石燃料の発電は効率が悪いと主張する人もいるのだが、GTCC(Gas turbine combined cycleガスタービン・コンバインドサイクル)と呼ばれる技術が出てきており、今輸入されている石油・天然ガスで原子力発電以上の電力をまかなうことができるのだという。ちなみに脱原発を主張している論客の中で竹田恒泰氏はGTCCを推し進めている。

第四章「知られざる天然ガスの実力」
日本は「天然ガス後進国」であるのだという。その要因とは日本は原子力推進が根強く、火力発電もLNGなどの石油に頼っている傾向にある。
世界各地で「シェールガス革命」が起こっているなかで、日本は天然ガス技術の推進とともに、ロシアやアメリカなどの国際関係も重要になってくる。

第五章「二一世紀型の省エネとエネルギー安全保障」
日本にはまだまだ「省エネ」の余地があるのだという。元々日本は石油ショック以来、省エネも推進していて、現在もその潮流は続いている。技術の進化により、省エネの他に、発電エネルギーの中で出た余剰物、例えば火力発電であれば「廃熱」と呼ばれるものを再利用する「コジェネレーション」と呼ばれる技術を開発し、ガス・電力・自然エネルギーをそれぞれ発電し、分散化・多様化して行くことで原子力に頼らず、いざという時でも電力を供給できる形にすることができる。

「脱原発」の議論もあるのだが、その先にあるポスト「脱原発」の議論が私たちの生活にとって大切なことである。方や「自然エネルギー」でまかなうと言っても、地熱は温泉業者らの反発が根強く、だからといって太陽光、特にメガソーラーは環境破壊で反対する人も少なくない。Win-Winで折り合いをつけるのは非常に難しいものの、原子力を除く、今ある発電技術も含めて、使えるものは使いつつ、効率的よい技術を推進していくことが日本に課せられたエネルギーの課題ではなかろうか。

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