戦後日本の聴覚文化~音楽・物語・身体

「聴覚文化」というのは、簡単に言うと「ラジオ」をはじめ、最近ではオーディオなど、耳を通じて楽しむ、知ることのできる文化のことを表している。テレビなどの視覚文化は日本において戦後になってから始まったのに対し、ラジオは昭和時代に入ってからのことであり、戦争の政局などのことを伝えるための手段の一つとして挙げられた。

本書は日本において長らく続いた「聴覚文化」を日米関係、さらには昨今発達している電子メディアと分別しながら考察を行っている。

第1部「日米関係と聴取者のアイデンティティ」
第1章「英語を聴取してしまう耳―小島信夫『アメリカン・スクール』と戦時期の英語教育」
本章では大東亜戦争前後の日米関係をもとにラジオや実際の対面で話されていた英語を聞き取るための教育はどうであったのか、さらにはネイティブスピーカーの存在はどうであったのかについて書かれている。

第2章「通訳者の政治―小島信夫『抱擁家族』における日米関係」
日米間に限らず、数々の国々と外交を行うためにはそれ相応の外国語能力が必要である、しかし肝心なのは度胸と政治的な信念であることには変わりは無い。
それはさておき、戦後政治の中で通訳者はどのような役割を持ったのか、小島信夫の作品から紐解いている。

第3章「虚構的な「日系人」の戦略―1970年代の細野晴臣とアメリカ」
戦後GHQをはじめとした連合国の影響もあり、アメリカをはじめとした諸外国の文化が大量に流れてきた。歌謡曲もJ-POPという音楽に変わり、食の文化も「欧米化」の一途を辿ってきた。その戦略を細野晴臣が「日系人の戦略」と形容した。

第4章「「アメリカに侵された子供」の耳―「戦後40年」の村上龍の記憶」
「アメリカに侵された」と言う表現も戦後日本の皮肉として使われる事があり、本章にある「耳」についても例外ではない。アメリカから流入された言葉もそうだが、歌、映画といった文化も影響されていると言っても過言ではない。文化に影響されたものを形容したものが、村上龍のデビュー作であり、出世作である「限りなく透明に近いブルー」を取り上げつつ考察を行っている。

第5章「1980年代の「植民地主義者」による「交通」―坂本龍一『NEO GEO』におけるアジアの視点」
坂本龍一は様々な音楽に触れ「YMO」をはじめ多くの楽曲を作り上げてきた人物である。同時に原発のことについて伝える活動家、という側面を持つが、本書ではあくまで「聴覚文化」をクローズアップしているため、政治的な発言の論評は控えておく。
坂本龍一が生み出した作品の中で、本章で取り上げるのは「NEO GEO」と呼ばれる1987年に発売されたアルバムがある。アルバムの2曲目に同名の曲が収録されているのだが、ゴーゴーとロックと沖縄民謡と民族音楽(ケチャ)をミックスした曲だと言われている。様々な民族音楽を混合することによって、国家や地域の隔たりを越えたものを理想として作り上げた曲であるという。一言で言えば「脱コンテクスト化」を曲の中で再現したとも言える。

第6章「被抑圧者が奏でる音楽―ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの路上演奏の意味」
本章では1995年に起こった、阪神・淡路大震災の被害に遭われた方々を励ますために催された「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」と呼ばれる出前慰問ライブを中心に「民族音楽」とは何か、路上ライブとは何かについて考察を行っている。

第7章「「対抗文化」の記憶―浦沢直樹『20世紀少年』における音楽の政治」
本章では音楽からちょっと離れて、マンガにおける「聴覚文化」について取り上げている。本章はマンガ「20世紀少年」と「対抗文化」に着いて取り上げている。「対抗文化」は簡単に言うと、社会構造や文化そのものを批判するような作品・文化で「対抗」することから名付けられた。音楽では「フォーク」や「ロック」と言ったものが代表的なものとして挙げられるが、マンガの世界でも「20世紀少年」では社会の病巣を突いており、現在アニメとして放送されているマンガ「COPPELION」も同様に社会に対する対抗の強い作品と言える。

第2部「電子メディアと聴取者のリアリティ」
第8章「「擬音」のリアリティ―音声化された文学作品としてのラジオドラマ」
第2部では「電子メディア」について取り上げているが、ラジオやボカロなどと言ったことが中心となる。最初に取り上げるのは「ラジオドラマ」である。CD化して、音声のみのドラマになっているものも「ラジオドラマ」と言えるかもしれない。その中で戦争にまつわる「ラジオドラマ」について効果音、あるいは擬音を使い、世界観を以下に出していくのかについて本章では考察を行っている。

第9章「ラジオから「肉声」を聴くということ―室生犀星『杏っ子』が明らかにする肉声の仮想性をめぐる問題」
日本でラジオ放送が始まったのは1925年、大正時代の末期である。ラジオ放送開始から、戦争を経て、ラジオからニュースやドラマなどを伝えられ、文化として形成されていった。その時代の中で発話者はどのような気遣いをして行ったのか、本章ではそのことについて考察を行っている。

第10章「初音ミクとの接触―“電子の歌姫”の身体と声の現前」
最後は現代のことについてである。「初音ミク」は2007年に生まれ、YouTubeやニコニコ動画を通じて瞬く間に日本中に広がり、「ボカロ」文化を築き上げた。本章では初音ミクによって聴覚文化がもたらされた影響について考察を行っている。

聴覚文化はラジオや歌ばかりではなくマンガや映画、アニメ、さらにはボカロにまで広がっているのだという。「耳で聴く」という文化自体は元を多度してみると、ラジオ放送もそうであるが、落語などの「聴かせる」ことを中心としたものの伝統からして、人間の歴史とほぼ近いように思える。本書はその中でも「ラジオ放送開始」以降の歴史をクローズアップした一冊と言える。