メディアのなかのマンガ―新聞一コママンガの世界

「マンガ」というと日本が誇るべきポップカルチャーの一つである。それは間違いないのだが、ほかにも意味がある。例えば本書のように昨今の政治や社会の「風刺」として一コマなり四コマなりマンガにしているものもある。もっとも国民的マンガ・アニメとして知られている「サザエさん」も、元々は朝日新聞の四コマ欄にて連載されていた。もちろん連載当時の政治や社会を揶揄している部分も存在する。

本書はマンガ論の中から、新聞などのメディアとマンガの関係について歴史的な観点から考察を行った一冊である。

Ⅰ.「序論」
本書ではマンガのことを「カートゥーン」と呼ぶことが多い。「カートゥーン」とは、海外のアニメのことを連想してしまうのだが、本来は、

「カートゥーン(cartoon)は複数の芸術形式についての呼称であり、一つの語源から発展した複数の意味を持っている。現代における狭義の用語カートゥーンは、アメリカやヨーロッパの一コマ漫画か、ユーモラスな傾向を備えた子供向けのアニメーション作品を指し示す言葉である」Wikipediaより)

とあるように、マンガにもアニメにも当てはまる一つの「芸術」として扱われている(但し広義だが)。本書では狭義にあるとおり、新聞の意味も込められていることから「カートゥーン」が使われている。

Ⅱ.「新聞カートゥーンの歴史」
そもそもマンガは一コマからつくられているとするならば、新聞にマンガが登場したのはいつのころなのか。マンガそのものはルネッサンスの時代にさかのぼる。それは同時に「活版印刷」が発明され、広められたことと同義であるという。もちろん新聞も例外ではない。
具体的に言うと、新聞が誕生したのは現在のような数十ページに織り込まれたものではなく、一枚のパンフレットのそれだった。そのパンフレットによってマルティン・ルターらが宗教改革を行われたのはあまりにも有名な話である(もちろんその当時の教皇についてもマンガにて暴露されている)。
とはいえど、風刺としてのマンガはほとんど成り立っていなかったという。そうしたのは、ウィリアム・ホガースという「近代マンガの父」「風刺画の父」と呼ばれる存在である。当時は世相についての風刺が多かったのだが、それがイギリスから西欧全土に風刺の概念が伝わっていき、現在の新聞カートゥーンが出来上がったわけである。

Ⅲ.「「カートゥーン」研究の流れ」
そもそも本書は新聞の風刺マンガについての研究分析を行っている。そのことからどのようにして研究しているのかを示す必要があるため、本章がつくられている。

Ⅳ.「事例研究―第44回衆議院選挙における政治漫画の分析」
本章で取り上げている「第44回衆議院選挙」は、わかりやすく言えば「郵政選挙」と言ったほうがいいだろう。2005年に参議院で郵政改革法案が否決されたことを機に、時の小泉純一郎首相の独断で衆議院解散を決断。9月11日に総選挙を行ったものである。
その選挙の中で出てきたのが、「造反組」や「小泉チルドレン」「刺客」といったものがあるのだが、それも例外なく風刺マンガに使われている。ほかにも新聞ごとに誰が風刺のモデルとなっているのかという統計をとっている。ほかにも選挙の中で出てくる「無党派層」についても風刺マンガとして扱われているが、どのように扱われていったのかも分析されている。

Ⅴ.「結論と課題」
今回の研究により、マンガと新聞の関係性は見えてはきたものの、風刺マンガにおける影響力は果たしてあるのかと言うと、まだまだ研究の余地があるという。もっとも課題を見るに、思い出したのが、フランスのある新聞がISIS(いわゆる「イスラム国」)に対する風刺を行い、新聞社が襲撃されたことが、世界的なニュースになったことを思い出す。
さらに言えば、これは新聞ではなく漫画雑誌の連載であるが、昨年の春頃に「美味しんぼ」という漫画にて、福島原発のことを取り上げたものが大問題となった。
以上のことを考えると、新聞における漫画の影響についてまだまだ研究する必要があると同時に、漫画雑誌における漫画についても誰かがやる必要があるのでは、とふと思ってしまう。

漫画は娯楽であると同時に、一種のメディアなのかもしれない。とはいえ、風刺にしても、単行本、雑誌連載など幅広く使われている漫画にはまだまだ可能性が秘められていると同時に、「Ⅴ.」でも書いたように「マンガ研究」がさらに広く、なおかつ深まっていくこともまた必要であることについて、本書をもって知った。