ルポ にっぽんのごみ

ごみを捨てることは日常生活においてよくある行動であるのだが、そのごみはどうなっているのか、小学校などでは勉強しているものの、そこからどのように変化していったのか、私たちでも知られていないところはある。そこで本書である。私たちが捨てたごみはどのようになっているのか、そしてリサイクルやリユースをはじめとした「3R」は功を奏しているのか、そして今行われている分別は本当にごみを減らすこと、そして「3R」に貢献しているのか、そのことについて取り上げている。

第1章「ごみはどこに行っているのか?」
ごみの多くは埋め立て処分場があり、そこに処分を行っていることは小学生のうちから雑誌などで知った。あれから20年ほど経った今でも同じように埋め立てを行っているのだが、一つ変化があったといえば焼却灰の埋め立てを行われなくなったことにある。これは地域によるのだが、焼却した灰を埋めるよりもセメントに再利用したという。そういった発想から埋め立ての量は減ってはいるものの、今でも毎日のようにごみは様々な埋め立て場に埋め立てられているという。

第2章「リサイクル大国の真実」
リサイクルの代表格として挙げられるのが「ペットボトル」である。しかしそのペットボトルを巡った争奪戦が勃発しているのだという。どのような争奪戦なのかというと、捨てられたペットボトルのリサイクルを行うリサイクル業者が自治体から捨てられたペッボトルを獲得するための争奪戦を指している。エコのように見えて、実はエコとはかけ離れた激しい戦いが行われているという。

第3章「市民権を得て拡大するリユース」
リユースの概念は古くから存在した。元々酒やしょうゆと言ったものを使ったらビンを回収し、洗ったのちまた新たなしょうゆや酒を入れて売るといった概念があった。今でも銭湯などである「ビン牛乳」もまたリユースの概念の一つである。しかしそういった飲み物や調味料ばかりではなく、オーディオや楽器と言ったものがリユースされることになっているという。本章ではハードオフと呼ばれる店舗などを実例に、国内リユースがいかにして行われているのかを取り上げている。

第4章「ごみ事情最先端」
いまごみに関する悲鳴が上がっているのだが、それはごみが多すぎるのではなく「ごみが足りない」というものである。傍から見ると「うれしい悲鳴」のように見えるのだが、実際のところそうではなく、焼却場や清掃工場が次々と乱立してしまったことが挙げられる。本章ではほかにもリサイクル率が地域によって異なること、さらには「リサイクル偽装」についても取り上げている。

第5章「循環型社会と「3R」」
廃棄物からどのように循環をしていけば良いのか、本書は「3R」の中でも「リデュース」と「リユース」を基軸にした活動にすべきと提唱している。そもそも「リサイクル」はエコのように見えるのだが、再生のためのコストもエネルギーも必要となる。そのことからまた廃棄物が生まれるようになり、結局のところ循環とは程遠い部分がある。そのことから「3R」から本章の冒頭にもあった「2R」にして循環型社会を築いた方が良いとしている。

身近なようでいてあまり知らない部分はどこにでもある。ごみもまたその一つである。私自身も小学生の頃から関心はあったのだが、長い間の中で様々な変化が生じていた。その変化の中で気づいていたこともあれば、全く気付かなかった部分もあった。その気付かなかった部分を本書でもって気づくことができただけでも価値がある。本書はそのごみにまつわる「今」を知ることができる。