「いい人生だった」と言える10の習慣

人生は1度きりである。それをいかにして生きるのか人それぞれであるのだが、「いい人生にしたい」という感情は誰にでもある。その「いい人生」というのはいったい何なのかは、これもまた人それぞれである。しかし共通した「いい人生」にできる習慣がある。本書はその習慣を10個紹介している。

習慣1「「今日が最後かもしれない」と思って暮らす」
人はいつ死ぬかわからない。もちろん病気にしても事故にしてもいろいろな要因で「明日死ぬ」ということも有り得る。そういうことを意識することが良いのだが、実際にそれを実感するのは難しい。そこで本章では東日本大震災の被災者の声を取り上げつつ、この習慣の重要性を説いている。

習慣2「生きる意味を無理に探さない」
誰しも一度は本章のタイトルにある「生きる意味」を探し求めることがある。その生きる意味を探せば探すほど考え込んでしまい、果てはわからなくなり、精神的に追い詰められることがある。本章ではそういったことを無理に探さないことを提示しつつ、「今を生きる」ことを提示している。

習慣3「負の感情にふりまわされない」
人それぞれであるのだが、私自身は物事をネガティブに考えがちになってしまう。そのネガティブな考え方・感情をすればするほど、精神的にも悪くなるだけではなく、肉体的にも悪影響を及ぼすこともある。その感情に振り回されず、なおかつ負の考え・感情をなるべく減らすためにどうしたらよいのかを取り上げている。

習慣4「身近な人こそ大切にする」
人を大切にするのは良く言われるのだが、どこから大切にしたらよいのかというと、最も距離の近い「身近な人」である。身近な人が大切なのだが、いかにして大切にしていけばよいのか、そしてなぜ身近な人が大切なのかわからない人もいる。本章ではその理由と方法について取り上げている。

習慣5「自分の幸せと大切な人の幸せをすり合わせる」
「大切な人」は「無二の親友」の場合もあれば、夫や妻といった「配偶者」という場合もある。そういった人たちの「幸せ」と自分自身の「幸せ」は異なるのだが、そのままにしてしまうとすれ違いが起こり、仲違いが起こる、結婚している夫婦だったら離婚の危険性もある。本章ではそれを解消するための方法として「幸せのすり合わせ」を提示している。

習慣6「「長く」より「良く」生きることに注目する」
今となっては「長寿社会」と呼ばれており、健康さえしていれば長生きをすることができるような時代である。その長生きができる時代になってくると「クオリティ・オブ・ライフ」、簡単に言えば生きるための「質」を求められる時代になってきた。それが「良く」生きることにつながる。

習慣7「健康や若さに必要以上にとらわれない」
習慣6で取り上げられた「長生き」とともに叫ばれるようになったのは「健康」「アンチエイジング」である。しかしそれを必要以上に求めてしまうと、ちょっと体調を崩してしまう、体力が衰えてしまうと、精神的にも悪影響を及ぼしてしまう。それを避けるために、健康や若さは大切であるが、必要以上にとらわれすぎてはいけないことを提示している。

習慣8「環境に流されず、本当にやりたいことをやる」
環境の変化はめまぐるしく起こる。その環境の変化に翻弄されてしまい「自分は何をしたらよいのかわからない」というような状況に陥ってしまう。その環境の変化に対応することも大切であるが、人は思っているほど環境に対応できるとは限らない。そのため本章では「環境に流されない」ことを説いている。

習慣9「どんな境遇でも自分を支えてくれる夢を見つける」
人はどんな形であれ「夢」や「希望」を持つ。それを失ってしまっては生きる勇気を失ってしまい、生きながらも死んでいる、いわゆる「生ける屍」のような状態になってしまう。本章では最期まで夢を捨てなかったエピソードを交えながら、夢と希望を持つことの大切さを取り上げている。

習慣10「「ありがとう」と伝える」
「ありがとう」という言葉は私の中でも良く使うように心がけている。その理由は相手に対する感謝の気持ちを表したいからである。もちろん「相手」は人ばかりではなくモノ・出来事などさまざまである。どのような形であれ「ありがとう」を伝えることは大切であるのだが、なぜ大切なのかをエピソードとともに取り上げている。

冒頭にも書いたのだが人生は1度きりであり、なおかついつ終わるのかわからない。そしてその人生は自分でも思ってもみないことで振り回されることもあれば、思い通りに行くこともある。ともあれ人生を振り返った時に本当に「いい人生」だったと言えば良いのだが、そうするための習慣を提示したのが本書である。