文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年

今でこそ「文部科学省」であるのだが、かつては文部省と科学技術庁の2つに分かれていた。2001年の省庁再編に伴い、現在の省庁になった。しかしかつてからあった文部省の名残は存在する。その文部省は日本の政治形態ができはじめた1871年に設置された象徴であり、近代から現代に賭けての教育・思想を司ってきた省庁である。もちろん歴史と共に役割を変化してきたのだが、その変化はどのような物だったのか、それを研究したのが本書である。

第一章「文部省の誕生と理想の百家争鳴」
日本は江戸時代の藩・幕府の政治から、国単位での政治を行う必要が出てきた。その背景には欧米列強のアジア進出があった。もちろんアメリカの黒船来襲による開国もあった影響もあった。近代化にあたり、教育を行う機関として文部省が生まれ、文部卿として大木喬任(おおき たかとう)が就任した。そこから教育制度ができ、なおかつ近代日本の教育の根幹としてある「教育勅語」が生まれるようにあった。

第二章「転落する文部省、動揺する「教育勅語」」
日本人としてのあり方、そしてそれへの教育について書かれた教育勅語は大国化に伴い、揺れ動くこととなった。日本人としての教育よりも富国強兵に重きを置いたため、文部省としての発言力も弱まってしまった。

第三章「思想官庁の反撃と蹉跌」
時代は大正・昭和時代に入ると今度は「思想官庁」としての役割を担うようになった。日本としてのあり方、そして精神の持ちようなどを国家主導で行う機関となった。もっとも大東亜戦争にかけては思想教育が中心となり、軍人(予備役含む)が文部大臣になることもあった。

第四章「文部省の独立と高すぎた理想」
大東亜戦争後、GHQにより戦争色のある教育を廃止するようになり、教育基本法ができ、現在の教育体系に変わっていった。その中でGHQと文部省との駆け引きがあったという。

第五章「企業戦士育成の光と影」
高度経済成長をきっかけに企業戦士を育成する、あるいは経済を活性化するための人物を求めるために教育を強化する志向が高まるようになった

第六章「グローバリズムとナショナリズムの狭間で」
バブルが崩壊し、グローバル化に向けて動き出すことから、冒頭でも述べたように文部科学省となり、ゆとり教育がつくられ、なおかつグローバリズムを重視した教育へとシフトしていったのだが、その一方でナショナリズム回帰への動きもある。そのせめぎ合いはどのようになっていったのかを論じている。

文部省は教育を司ってきた省庁であるのだが、日本における思想やそして教育を行っていくための機関であるのだが、そこにも歴史に巻き込まれて言った存在の一つであった。どのように変わっていったのか、その研究を通じてよく分かる一冊である。