テレビアニメ夜明け前―知られざる関西圏アニメーション興亡史

テレビアニメは様々な所でつくられる。多くは東京の会社であるのだが、中には富山をはじめとした地方で制作されることもあった。その中で本書は京都・大阪の2つの地方のアニメを追っているのだが、そもそも京都や大阪の2つの場所ではどのようなアニメがつくられ、変化していったのかを取り上げている。

第一章「京都映画社 戦後関西アニメの出発点」
日本におけるテレビアニメの始まりは1953年、それ以前には戦前・戦中の時代にはショートアニメや短編アニメ映画がつくられることがあった。その中で戦前から戦後間もない時にかけて京都映画社(前身は「京都童映社」)が制作した。そのために戦後のアニメはその会社によってつくられたという。

第二章「さがスタジオ 京都系アニメ界の中心地」
今でこそ京都のアニメ会社というと宇治市に本社のある「京都アニメーション」があるのだが、それ以前にも京都には様々なアニメ会社があった。第一章で取り上げた京都映画社もその一つであるのだが、京都が戦後間もないアニメ界を引っ張ってきたと言うほどの勢いだった。その勢いの一つに「さがスタジオ」がある。

第三章「一光社 大阪系アニメ界の原点」
京都の隣の大阪でもアニメ会社がつくられ隆盛していった。その一つである「一光社」は特にCMアニメーションを中心につくられ、活躍していった。商品をテレビを通じて紹介する時代に入ったというかテレビの需要が増えたことによってアニメーションが重要になったことにのったと言う意味合いもある。

第四章「『鉄腕アトム』以後」
鉄腕アトムが初めて放送されたのは1963年1月1日。議論の中でもこのときが日本アニメが誕生した日と言われている。それを計算すると今年でちょうど55年となる。その誕生からアニメの製作が東京を中心になっていき、一極集中になっていった。一方で京都や大阪のアニメも衰退の一途を辿っていった。

アニメは様々な所でつくられていったのだが、その歴史もまた地域の変遷がある。その変遷は東京にしても京都・大阪にしても様々な場所の盛衰が表れている。その中でも京都・大阪のアニメ製作の歴史を知ることによりアニメの歴史を違った側面で知ることができる。