内村鑑三 悲しみの使徒

明治~昭和初期にかけて、活躍した人物であり、キリスト教研究家としての側面が強い人物として内村鑑三がいる。内村鑑三として代表的な出来事として1891年にて第一高等中学校において教育勅語の「奉拝」の際に敬礼をしなかったことにより、社会問題となった「不敬事件」がある。その不敬事件と、キリスト教との関わりとはどうであったのか、本書は評伝として取り上げている。

第一章「入信」
内村鑑三はちょうど「幕末」の時期に重なる1861年に江戸小石川(現在の東京都文京区小石川)にて出生したが、後に高崎に移ることとなった。幼少の頃から英語の学ぶことが多くあり、やがて札幌農学校(現在の北海道大学)に進学することとなった。その時期にキリスト教の洗礼を受けることとなった。

第二章「死者」
札幌農学校を卒業し、アメリカへの留学の後に帰国し、教員として働くこととなった。しかしその教員時代には本章でも取り上げられ、内村鑑三の中でも最も有名な出来事となる「不敬事件」があった。それだけでなく、本書では取り上げられていなかったが「北越学館事件」がある。新潟県の北越学館の教頭に就任したのだが、外国人宣教師たちとの対立が起こったことによるものであった。それをきっかけに辞任し、東京に移ってからは冒頭に述べた「不敬事件」を起こした。キリスト教の捉え方などがあったのだが、そのことにより職を追われた。

第三章「非戦」
教職を辞し、新聞記者を経て、「聖書之研究」という雑誌を創刊するようになった。その中でも内村は編集を行うことを主軸としたのだが、その中で聖書の研究も併せて行われるようになった。この研究や編集は内村が逝去するまでのライフワークとなっていった。編集を始めたあたりに日露戦争が起こったのだが、その日露戦争について内村は非戦を訴えた。もっとも日清戦争では支持していたのだが、なぜ日露戦争になっては非戦となったのか、そこには内村の宗教的思想があった。

第四章「再臨」
本章では1912年に起こった「再臨運動」について取り上げている。これは1917年から1年半にわたって続いた宗教的な運動であり、プロテスタントの過激派が起こしたものとされている。なぜ「再臨運動」を起こしたのか、そして再臨運動によって日本におけるキリスト教はどのように変化していったのか、そのことを取り上げている。

第五章「訣別」
内村鑑三との訣別であるのだが、誰が訣別したのかというと小山内薫である。元々小山内は旧制一高時代において内村鑑三に入門してキリスト教を学ぶほど懇意になった野だが、不敬事件や再臨運動を行う内村の姿を目の当たりにし、やがて軋轢を生むようになった。そのことにより小山内はキリスト教を棄教し、訣別したという。

第六章「宇宙」
内村が上梓した書物は「代表的日本人」を始め、数多くあるのだが、ほとんどはキリスト教にまつわるものである。それらの本を通じて内村鑑三の中にある「スピリチュアル」とは何なのか、そのことを分析している。

内村鑑三は、俗に「2つのJ」を基軸としていた。一つのJは「JAPAN(日本)」、もう一つのJは「JESUS(イエス)」である。このJを元にしてキリスト教に対してどのような影響を及ぼしたのか、その生涯から見るに計り知れないことはよく分かる。