ディエゴ・ベラスケスと呼ばれる画家はスペイン絵画の黄金時代を支え、フランスの著名な画家であったエドゥアール・マネが絶賛したほどの存在だった。と同時に宮廷画家として活躍しながら、宮廷の中枢として活躍した人物でもあった。
そのベラスケスの生涯はどのようなものか、画壇、そしてスペインの王宮ではどのような存在だったのか、その生涯を追っているのが本書である。
Ⅰ.「画家の誕生」
ベラスケスが誕生したのは1599年、スペイン帝国のセビーリャであったが、どの家系で生まれたのかはまだ議論の的となっており、当初は没落貴族の子として生まれたのだが、近年では改宗したユダヤ人の下で生まれたとも言われている。11歳の時に画家であり、美術研究家だったフランシスコ・パチェーコに弟子入りし、18歳に独立。その後師匠の娘と結婚し、画力を向上するために旅行にも出かけたという。
Ⅱ.「絵筆をもって王に仕える」
旅行先はたいがいマドリードだったが、その旅行中に伯爵の紹介を受けて初めて宮廷に入り国王の肖像画を描いた。その国王はフェリペ4世であり、美術愛好家であり、スペイン絵画の黄金時代を築き上げた人物でもあった。フェリペ4世に気に入られ、宮廷画家に転身し、王宮にいながら絵を描くことが多くあった。
Ⅲ.「ローマでの出会い」
王からの許可を得て絵画の修行のために海外に赴くこともあった。その道中で名将アンブロジオ・スピノラと出逢い、親交を結ぶのだが、それが代表作の一つである「ブレダの開城」を生むきっかけとなった。
Ⅳ.「絵画装飾の総監督」
修行の旅の帰国後は王宮に戻り「ブレダの開城」をはじめ、数々の作品を生み出しながら、宮廷内の絵画・装飾を監督する立場を王から任されることとなった。絵画修行に出かけた経験により絵画作成だけでなく、宮廷内の美術品の展示についても辣腕を発揮した。
Ⅴ.「ふたたびイタリアへ」
役人として昇進をしていったのだが、絵画への情熱は忘れておらず、2回目のイタリア旅行に出発した。そこでも絵画の修行の他に王の命により美術品の収集も併せて行われた。そこで「ヴィラ・メディチの庭園」や「鏡のヴィーナス」「教皇インノケンティウス10世」などの作品を生み出した。
Ⅵ.「封印された野望」
ベラスケスの生涯を終えるまでのなかでどのような野望を持ち、絵画に込めていたのかを取り上げている。その中には「ラス・メニーナス」や「バリェーカスの少年」なども取り上げている。
スペイン絵画の黄金時代の一翼を担い、著名な画家たちの絶賛を受け、さらには哲学者にまで考察を受けることとなったディエゴ・ベラスケスの生涯はスペインにおける画壇の大きな存在として今もなお残っており、その多くはスペインのプラド美術館に所蔵されている。
コメント