田中角栄 最後のインタビュー

立身出世であり、なおかつ人望が厚かったが、晩年はロッキード事件で暗い影を落とした昭和の首相の中でも代表的な人物として挙げられる田中角栄。その角栄に単独でインタビューを行った記録が存在した。今からちょうど40年前にあたる1980年の12月、ブラジルの新聞の取材のためにだったが、当時の角栄は先述のロッキード事件における裁判の途中にあった。もともとは日本とブラジルの関係についての取材を行ったのだが、日本の国家・指導者・外交・そして若者たちへのメッセージなど多岐にわたるものであった。約40年の時を経て日の目を見ることとなった。

第一章「国家のかたち」
角栄が国政に進出したのは戦後間もない時である。終戦を迎えた年から選挙に出馬したが、落選したものの、その2年後の1947年に初当選。1990年に政界引退するまで16回の当選を受けた。当時は敗戦で荒廃した所から回復し、高度経済成長の時期であっただけに、経済政策を重点に置いていた。特に「衣食住」の政策を基調としながら、交通インフラの政策も行うなどもあった。また自民党の党是の一つであった憲法改正にも積極的であった。また本章ではメディアであまり語られなかった国防に関しても言及している。

第二章「指導者とは」
指導者としての在り方は角栄が国会議員の中で指導者を見て確立したとも考えられる。また総理大臣としての考え方、姿勢、実行力など田中角栄ならではの考え方があった。首相になる以前は「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれるほど、知識と実行力に富んでいた。また政治的にも気配りのできる人であった。そのエピソードもふんだんに語られている。

第三章「外交秘話」
アメリカ・ソ連・中国と外交の場で渡り歩いたエピソードが中心となっている。特に大きなものとしては「日中国交正常化」が挙げられるのだが、先述の三国におけるエピソードはメディアでもあまり語られていない所まで言及しているため貴重である。また本章では言及がなかったのだが、ブラジルに対しては共同プロジェクトの提案を行うなどブラジルの経済発展の一翼を担った。その影響もあってか、本書のきっかけとなるインタビューができたのかもしれない。

第四章「若者たちへのメッセージ」
これからの政治や経済をはじめとした未来を担う若者たちに向けてのメッセージを国家、政治、学歴、恋愛、勉学、処世訓などあらゆる観点から語られている。

晩年はロッキード事件などにより「金権政治」をつくった張本人という批判が多くあったのだが、ここ最近になって立身出世の政治家、あるいはたたき上げの宰相など、再評価をする動きも出てきている。また角栄の振る舞いや言動なども参考になるものもあり、ビジネス書でも取り上げられることがある。本書は元首相と言うよりもいち政治家としての「田中角栄」のありのままの考え・思いが詰まった一冊と言える。